先日、私は愛媛ひめぎんグラウンドに、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに派遣されたカープアカデミーの練習生、デ・ロス・サントス投手とメヒア選手の様子を見に行きました。今回マンダリンパイレーツでサントス投手の指導に当たっているコーチの酒井光次郎(さかい みつじろう) さんに取材をしてきました。酒井さんは、台湾で12年間コーチの経験があるそうです!

大阪出身の酒井コーチは1989年にドラフト1位で日本ハムファイターズに入団し、1年目で10勝を挙げました。
1997年に引退すると、翌年から台湾に行き、2007年まで台湾代表チームとプロ野球統一セブンイレブン・ライオンズの投手コーチを務めました。一度日本に戻った後も2023年に、再び台湾に行き、昨年までプロ野球富邦(フーバン)ガーディアンズの二軍投手コーチを務めていました。
酒井コーチは今年からマンダリンパイレーツに入団し、サントス投手を指導しています。
サントス投手について、「スピードがありますが、コントロールが少し乱れているので、投球フォームをしっかりと意識するように指導しています。コントロールが良くなれば、チャンスがあるんじゃないかな」とコメントしました。
私は学生の頃から酒井コーチが台湾で指導する姿を見ていましたが、直接会うのは初めてです!中国語が堪能な酒井コーチは私にとても優しくしてくださり、台湾時代の話をたくさんしてくださいました。この機会に私からも酒井コーチに取材させていただくことができました。
Q.1998年~2007年、2023年~24年に台湾でコーチの経験をされましたが、この間台湾選手に変化がありましたか?
A. 1回目に台湾へ行った時、最初は台湾代表チームの投手コーチを務め、そのあとにプロ野球の統一ライオンズでも投手コーチを務めました。
2回目は富邦ガーディアンズのコーチを務めましたが、アメリカや日本プロ野球から帰ってきた選手が増えたこともあり、選手のレベルが上がり
ました。色々な新しい練習方法が取り入れられ、野球の考え方がすごく進んだというイメージがありましたね。
私が台湾代表のコーチの時代には、台湾国内から能力の高い選手が選ばれ、すごく一生懸命練習をしていました。今はアメリカや日本に海外留学している選手、マイナーリーグの選手、NPBの選手など、海外経験がある選手を集めて台湾代表のチームを作っています。今は色々な場所から代表選手を集めないといけないので、集めるのが難しい部分があると思います。

Q.台湾で一番記憶に残っている試合または出来事を教えてください。
A. やはり2001年に台湾で行われたワールドカップですね。1999年に起きた台湾921大地震の2年後に行われ、野球をやるのが苦しい時期でした。その大会で台湾はアメリカに負けたのですが、日本と韓国に勝って3位になりました。一つの試合というよりは、大会全体が印象に残っています。台湾の皆さんがすごく喜んでくれて、僕もとても嬉しかったです。たくさん良い選手がいたので、楽しく野球をやることができましたね。
Q.コーチは中国語と台湾語が話せますが、どうやって覚えますか?
A. 最初は、「你好(こんにちは)」、「謝謝(ありがとう)」しか知りませんでしたが、筑波大学に留学したことがある台湾代表チーム監督の林華韋(リン ファーウェイ)さんに通訳してもらいながらピッチャーを教えました。3年間で林さんと一緒に話しながら、勉強していました。台湾の単語の漢字は日本と逆の場合が多いので、そういうのをメモして、必要な言葉を覚えていました。
その時の台湾代表の選手はほとんど大学生だったので、彼らも僕から日本語を学びたがっていたので、お互いに勉強していました。知りたい言葉を書いたり話したりして、発音は全部聞いて覚えました。今の統一ライオンズの林岳平(リン ユェーピン)監督、潘威倫(パン ウェイルン)コーチ、高志綱(ガウ ジーガン)コーチ、味全ドラゴンズの張建銘(チャン チェンミン)コーチなど、その当時は全員学生でとても親切でした。
また、学生だった元ヤンキーズの王建民(ワン チィェンミン)投手ともよく喋り、ご飯に連れてもらったこともあります!多くの台湾の方々に助けてもらったので、今も台湾人に対し温かい気持ちがあります。
Q.一番好きな台湾料理、苦手な台湾料理?
A. やはり台湾の炒飯ですね。最初は妻と一緒に高雄に住んでいて、いつも二人でバイクに乗って、ご飯を食べに行っていました。その時はまだ中国語が分からず、漢字も読めなかったので、いつも炒飯、焼きそばを食べていました。この2つ料理は、私たち二人にとってのスタートでした。「六合夜市」の炒飯は今でも覚えています。
2年前に2度目の台湾プロ野球チームのコーチになった時、もう一度「六合夜市」に行き、切り干し大根オムレツという料理も好きになり、よく食べました。
苦手なのはパクチーですね。僕の奥さんはいくらでも食べますけど(笑)。台湾で最初は「パクチーは要らない」という中国語が言えなくて困っていましたが、今は言えるようになりました。

Q.台湾で思い出がある場所は?
A. 台湾にいた時に一時期台北にある「文化大学」でコーチを務めたことがありました。当時の大学4年生で、現在楽天モンキーズのコーチの鄭兆行(チェン ジァウハン)さんに連れてもらい、観光名所「九份」に行きました。
鄭さんは学生だったのに、全部の食事をおごってくれましたよ。初めて台湾に行って、言葉が分からなかった日本人コーチの私を、鄭さんがどこかに連れて行こうとしてくれたことが今でも印象に残っています。
Q.台湾の野球ファンやカープファンへ一言
A. 台湾のファンの皆さん、僕が台湾に行った時には応援してくださって、ありがとうございました!台湾選手たちは多くの人から応援してもらえるよう、また台湾野球の普及のために日々頑張っています。技術も上がってきているので、ぜひ球場に行って応援をしてあげてください。
カープには私の大学の後輩である藤井彰人ヘッドコーチが新井貴浩監督のそばにいます。新井監督を胴上げできるように頑張ってほしいです。ファン皆様にもどうぞ、応援してくださいとお伝えしたいです。
酒井 光次郎コーチ

生年月日:1968年1月31日
出身:大阪府枚方市
投打:左投左打
選手経歴:日本ハムファイターズ(1990~1996)、
阪神タイガース(1997)
コーチ歴:台湾代表チーム(1998~2004)
(台)統一セブンイレブン・ライオンズ(2005~2007)
信濃グランセローズ(2011)
日本生命(2012~2021)
(台)富邦ガーディアンズ(2023~2024)
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日前,我去了一場愛媛銀行球場,去看了被球隊派遣到四國島聯盟plus愛媛橘子海盜隊的鯉魚隊多明尼加學院的練習生,桑托斯投手及梅西亞選手練習的情形。而這次負責指導桑托斯投手的該隊的投手教練酒井光次郎先生。而酒井教練在台灣有12年的指導經驗!

大阪出身的酒井教練是在1989年選秀會第1輪被日本火腿鬥士隊選進,菜鳥年就拿下年度10勝的好成績。
1997年引退之後,隔年便到台灣,至2007年為止擔任了中華(台灣)隊及職棒統一7-ELEVEn獅隊的投手教練。雖然一度回到日本,但於2023年再度前往台灣,至去年為止擔任富邦悍將隊二軍投手教練。
酒井教練今年加入橘子海盜隊,並指導桑托斯投手。
對於桑托斯投手,酒井教練認為「雖然有球速,但控球有一點點穩,因此我教導他要好好意識自己的投球動作。如果控球改善的話,說不定有升上去的機會。」
雖然我從學生時代就看著酒井教練教導選手的樣子,但這回見面還是第一次。精通中文的他對我相當好,和我說了許多台灣時期的趣事。我也趁這個機會訪問了一下酒井教練。
Q.您曾在1998年~2007年及2023年~2024年在台灣擔任教練,請問這段期間台灣選手有什麼樣的變化?
A.第1次去台灣教球時,剛開始是到台灣隊擔任教練,接下來進了職棒統一獅隊指導。第2次到台灣是去富邦悍將擔任教練,那時候意識到從美國及日本職棒回來的選手變多,水準也變高。各式各樣的訓練方式因而被採用,觀念也相當進步。
我在國家隊擔任教練時,大部份選手是從台灣國內能力較高的球員選出,而且相當拚命練習。現在也從美國及日本留學的選手,小聯盟選手及日本職棒選手,由這些有海外經驗球員集結. 因為現在必須從四處集合選手,所以這應該是比較困難的部份。

Q.在台灣印象最深刻的比賽是?
A. 我想就是2001年在台灣舉行的世界盃棒球賽。這是1999年921大地震兩年後所舉行的比賽,對於舉辦賽事來說是比較辛苦的時期。雖然該大會我們輸給了美國,但打敗了日本與韓國拿到了第3名。比起一場比賽,我對該賽會整個過程都還有印象。那時台灣的球迷們都相當開心,所以我也非常的高興。那時有很多很好的選手,一起快樂地打棒球。
Q.據說教練會說中文,請問是怎麼記起來的呢?
A.剛開始我只知道「你好」和「謝謝」,但教球時透過曾在筑波大學留學的台灣隊林華韋總教練幫我翻譯。接下來的3年後我和林總一邊交談一邊學習中文。中文單詞的漢字有很多地方和日本相反,所以我把它筆記起來,記住必要的單字。
那時候台灣代表的選手們幾乎都是學生,他們也想向我學習日語,因此我們互相學習。邊說邊寫想知道的字和詞,並且記住全部的發音。現在統一獅的林岳平監督、潘威倫教練、高志綱教練、還有味全龍的張建銘教練,在那時候都是學生而且對我非常好。
此外,我也和當時還是學生的前洋基隊投手王建民很常講話,他也很常帶我去吃飯!許多台灣人都很幫我,讓我到現在還是覺得台灣人很溫暖。
Q.最喜歡的台灣料理及最沒輒的台灣料理?
A. 最喜歡的應該就是炒飯了。一開始和妻子入住高雄時,總是兩個人坐著一台摩托車去找吃的。那時還不懂中文,也沒辦法讀台灣的漢字,所以總是點炒飯和炒麵來吃。所以這兩道菜對我們來說也是在台灣的起點。我最記得的就是「六合夜市」的炒飯了。
兩年前第二次來到台灣教球,我又去了六合夜市,這次逐漸愛上菜脯蛋的味道,很常點來吃。
最沒輒的就是香菜吧。但我老婆不管吃多少都無所謂(笑)。剛開始不會說「不要香菜」而感到很困擾,但現在已經會說了。

Q.對台灣印象最深的地方?
A. 我有一小段時間在台北的「文化大學」擔任教練。那時還是大學4年級,現在已經是樂天桃猿隊的教練鄭兆行帶我去「九份」觀光。
那時鄭教練明明還是學生,但卻請我所有吃的。到現在我都還記得,鄭教練那時帶著剛到台灣不會說中文的我去走走這件事。
Q.給台灣球迷與鯉魚迷的一句話
A. 非常感謝台灣球迷們在我在台灣時為我加油!而台灣選手們也為了能夠得到球迷們的加油,以及為了台灣棒球的普及而努力。台灣棒球技術也正在提升,請大家務必前往球場為他們加油!
對於鯉魚隊,我的大學後輩藤井彰人首席教練在新井貴浩監督的身邊,希望他能夠努力幫新井監督得到「胴上(冠軍時球員將總教練往上拋)」的機會。也敬請鯉魚迷們給予熱情加油。
酒井 光次郎教練

生日:1968年1月31日
出身:大阪府枚方市
投打:左投左打
選手經歷:日本火腿鬥士隊(1990~1996)、
阪神虎隊(1997)、
教練經歷:中華(台灣)成棒代表隊(1998~2004)、
統一7-ELEVEn獅隊(2005~2007)、
日本獨立聯盟BCL信濃大羚羊隊(2011)、
日本業餘 日本生命隊(2012~2021)、
富邦悍將隊(2023~2024)