2026年1月26日 (月)

第128話 AI、SNS時代の「丙午」とは?

 2026(令和8)年は干支(えと)では「丙午(ひのえうま)」にあたる。「えと」といってもZ世代には「?」かもしれない。昭和、平成生まれにとっても、メディアや年賀状(随分、この風習もすたれたが)で、今年が「ウマ年」であることは知っていても、「ウマ」が「馬」ではなく、「午」となると少しおぼつかない。

 Z世代とは? それは1997年~2012年生まれの若者。そのはしりは今年29歳、そろそろ“適齢期”(こんな言葉ももはや死語だろうが)を迎えようとしてい。子どもの頃からスマートフォン、SNSが身近に存在する、いわゆるデジタル・ネイティブといわれる若者たちだ。

 干支とは何ぞや? それは「十干十二支(じっかんじゅうにし)」からきている。「十干」とは甲、乙、丙、丁……と10種類ある。戦前の学校の通知表が甲、乙、丙の表記だったと知ればZ世代は仰天するだろう。ただ、いまでも「甲乙つけがたい」等、日常語として使われていることは、昭和世代には喜ばしい。「十二支」は子(ね)、丑(うし)、寅(とら)と続く12種類。「今年はウマ年」とか「自分はイヌ年」等、中高年者の会話に登場するが、こちらもZ世代には馴染みが薄い。この「干」と「支」の組み合わせは10と12の最小公倍数の60通りある。60年周期で回り、今年がその一つの「丙午」なのだ。

 その丙午生まれの女性には迷信が付いて回る。『ひのえうま』によると「江戸時代に生まれた迷信」。何でも「恋人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋の娘お七が丙午生まれだった」のがコトの発端とか。これが歌舞伎等の題材とされ、「丙午の女は気性が激しく、夫を食い殺す」「嫁ぎ先に不幸をもたらす」等と世間に広まっていったようだ。この迷信はエスカレートし、丙午生まれの女性との結婚を避けるようになり、それが「結婚に苦労する」→「将来不幸になる子を産むべきでない」となり、丙午に女児をもうけることを避けるようになっていった。当時は「生まれてみないと男女がわからない」時代なので、その年に子どもを産むこと自体を避けるようになったという。

 120年前の1906年はすでに明治の世に入り39年、「文明開化」の時代を迎えていたが、迷信は残り、新聞には「縁談がまとまらず、絶望した丙午生まれの女性が自殺」という報道があったほど。

 その後、干支(えと)が一回りした1966(昭和41)年でも迷信は信じられ続けた。終戦からすでに20年以上経過、東京オリンピックが開催(1回目)されて2年後で、日本は高度成長の真っ只中。しかし、この年に生まれた子どもはわずか136万人で、前年より約55万人(25%)も激減するという異常な社会現象が見られた。暦年の出生数のグラフを見ると、この年だけがガクンと谷底に急落しているようにみえる。

 しかし、60年前に生まれた女性を探すとキラ星のように輝いている。アトランタオリンピックのマラソン銀メダリストの有森裕子さん(現在・日本陸上競技連盟会長)やソウルオリンピック・アーティスティックスイミング銅メダリストの小谷実可子さん、女優の小泉今日子さん、鈴木保奈美さん、斉藤由貴さん、シンガーソングライターの渡辺美里さん、広瀬香美さん、エッセイイストの酒井順子さん、漫画家・ひうらさとるさん等、挙げればキリがない。酒井さんは「丙午生まれでも生きていけるという壮大な実証実験をしたようだ」と記している。

 一方、2024年に国内で生まれた赤ん坊はわずか68万人に留まる。合計特殊出生率(一人の女性が一生のうちに産む子どもの数)は1.15で人口が維持できる2.1を大きく下回っている。60年前の丙午で激減した年の136万人のちょうど半分だ。いかに近年の日本の人口減少が激しいかがわかろうというものだ。

 さて、2026年、令和の丙午はどうなるのか? まさかAISNSの時代に迷信をまともに信じる人はいまい。ただ、60年前に存在しなかったのがSNSだ。SNSではデマやフェイクが飛び交う。それを深く考えることなく、気軽に「いいね」を押したり、「同調圧力」という魔物に取りつかれることが全くないか懸念される。

「人間は考える葦(あし)」(パスカルの言葉)だったはず。AIやSNSがその「人間」を根本から変質させているとしたら恐ろしいことだ。「情報を読み解き」「考える」習性を持ち続けたいものだ。出産を考えるパパやママさん、こんな風に考えたらどうですか?「同年齢の人数が少なければ、子供さんは受験にも就職にも得ジャン」。モノは考えようですよ。余計なお世話でしたか・・・。

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2025年12月29日 (月)

第127話 憂鬱な2026年のアメリカ

 アメリカは2026年に「建国250年」の歴史的な節目を迎える。ただ、祝賀の年になるはずが、「トランプのアメリカ」では騒動のタネは尽きない。1年前、ドナルド・トランプは米大統領経験者として132年ぶりに返り咲きを果たした。就任時年齢は前任のバイデンよりも高齢な78歳7カ月、歴代最高齢大統領記録を更新中だ。行政と軍に加え、上下両院も共和党が過半数を確保し「トリプルレッド」となり、司法の最高裁も保守派6人対リベラル派3人だ。1期目と違い閣僚やホワイトハウスの側近らは「絶対服従の忠臣」で固め、誰も異論を差し挟めない。トランプは「白い家」で帝王然と君臨している。就任10か月で217本の大統領令に署名し(バイデン前大統領は4年間で162本)、議会の議決を経ずして、思いのまま権力を行使している。

 大言壮語癖はつとに有名だが「大統領就任後24時間でウクライナ戦争を停めてみせる」は空証文となっている。連日発する「片言隻句」は「変幻隻句」と揶揄される。

 彼はこの1年間、「TARIFF」(関税)を武器に「DEAL」(取引)に挑んだ。さすがに中国には「レアアースの対米禁輸」で反撃され、歯が立たなかったが、EUや日本、アジア諸国との交渉ではブラフでぶち上げた高関税率を下げて決着させた。しかし、アメリカ国内では当然ながら物価高を招き、支持率はダウン傾向、最近は与党・共和党からもトランプ離れが出始めている。“トランプ流〟は国際的にもヨーロッパやグローバルサウスの反発を招き、その間隙に中国が触手を伸ばし、マクロン仏大統領が25年暮れに中国を訪問、26年にフランスで開催されるG7サミットに習近平国家主席をゲストとして招くことも検討されている。英独首相も26年中には中国詣での予定だ。中国には「トランプはなんともありがたい」存在なのだ。中東ガザでは何とか停戦合意にはこぎ着け、「ノーベル平和賞」を所望したが叶わず、合意後もガザでは数百人以上がイスラエルの攻撃で戦死する事態が続いている。

 26年のアメリカのカレンダーでは7月4日(独立記念日)と11月3日(中間選挙)が特異日だ。7月4日は「建国250年」の歴史的な記念日となる。アメリカ北東部のイギリス植民地が、フランスの支援を受けてイギリスと独立戦争を戦い、アメリカ合衆国が建国された。

 トランプ大統領は建国250年を大々的なイベントで盛り上げる予定だ。ただ、個人的虚栄心が透けて見えるのがいただけない。アメリカの1セント硬貨にはエイブラハム・リンカーンの肖像が刻まれているが、トランプはすでにその製造を終了させた。代わっ1ドル硬貨に自らの肖像を刻印、建国250年記念硬貨として発行する予定だ。リンカーンは南北戦争で分断されたアメリカを統一、奴隷制を廃止し、「人民の人民による人民のための政治」で民主主義を定着させた第16代大統領。「建国の父」のジョージ・ワシントン初代大統領(1ドル紙幣に肖像)と並ぶ「偉大な大統領」と尊敬を集める。そのリンカーンを退場させ、現職大統領が自ら肖像を新たな硬貨に刻もうというのだから、その臆面のなさはブラックジョークをも超える。「建国250年」がMAGA(Make America Greate Again)がリンクし合い、人種差別やアメリカ社会の分断をさらに増幅させないか懸念される。

 中間選挙は大統領の与党が議席を減らすのがこれまでの通例だ。2001年のアメリカ同時多発テロを受けてアメリカ国民が団結し、翌年の中間選挙でブッシュ大統領(子)の与党共和党が勝利したのは数少ない例外だ。現在、両院とも共和党が過半数を占めているが、過半数ギリギリの下院で崩れれば自らのレイムダックに繋がるだけに、いま、下院で共和党に有利な選挙区の区割り変更(ゲリマンダー)に懸命だ。

 トランプ大統領は4月に中国を訪問する。アメリカ農産物の大量輸出等、アメリカ有権者の琴線に触れる成果を得て、中間選挙へのバネにしたいと計算している。だからこそ高市早苗首相の存立危機事態での国会答弁で日中関係が険悪化していることはトランプ大統領には“不都合なこと”のだ。そこでトランプの方から高市首相に電話をかけ、「中国を刺激しないで」と牽制したのも、自ら訪中成功に向けて障害物を取り除いておこうという狙いによるものだ。

 アメリカは25年の南アフリカでのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)をボイコットしたが、26年はアメリカ開催だ。トランプはフロリダ州の自らの別荘での開催を目指している。かつてG7サミットでも同じ構想を練ったが、トランプ嫌いのドイツのメルケル首相が新型コロナウイルスを理由に断り、お流れになり、結局は「オンライン開催」になったことがある。26年も“トランプ流”で世界が騒がしいのかと思うと、新年への明るい希望よりは、少し憂鬱な気分になる。(文中一部敬称略)

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2025年12月 2日 (火)

第126話 「頑張って」と「頑張ります」の大違い 高市政権の命運 公明が握る?

 初代内閣総理大臣の伊藤博文以来140年が経過し、日本にも初の女性総理(第104代)が誕生した。かつてのサッチャー英首相、メルケル独首相、インドのインディラ・ガンジー首相や現在のメローニ伊首相等、女性のトップリーダーは国際的にはさして珍しくはない。国際連合によれば、2025年9月時点で世界には女性の大統領や首相は32人存在する。それでも「初の女性総理」であることや、高市首相の歯切れがよい言葉が響きがよいのか、各種世論調査で内閣支持率は高い。自民党本部は「次期総選挙ではかなりの浮動票も期待でき、参院選で参政党に逃げた保守票も取り戻せる」と意気込む。しかし、地方では自民党の衆院議員は「公明党の連立離脱で支持層が離れれば自分たちの当選はおぼつかない」と不安の声が噴出している。

 公明党の斉藤鉄夫代表は自民党との連立離脱の際、「国政選挙では党本部として自民党候補は推薦しないし、わが党候補も自民党から推薦を受けない」と明言した。これを受けてメディア各社は、次期総選挙の小選挙区での自民党候補への影響について試算している。JX通信社によれば、前回総選挙の小選挙区で当選した自民党議員132人のうち、52人が落選するとの衝撃的試算を公表した。この試算は前回総選挙の各小選挙区で自民党候補が獲得した票から、その選挙区での公明党の比例代表獲得票数を機械的に差し引いたものだ。その結果、比例代表獲得議席が前回と同じと仮定した場合、自民党は過半数はおろか比較第一党の座も立憲民主党に奪われるという計算になる。ただ、これは単純な“机上の試算”であり、選挙の実態とは少し乖離している。自公連立以降の総選挙では、公明党が立候補していない小選挙区では「小選挙区は自民党の〇〇へ、比例代表は公明党へ」というバーターの相互協力が常態化しており、公明党の比例代表獲得票の中も自民党支持層から入った票が1割程度とあるとされているからだ。

 このため、次期総選挙でも公明党の比例分がそっくり自民党候補から剥がれることにはならない。しかし、共同通信社や読売新聞社が前回総選挙時の出口調査を基に支持政党別の投票行動から試算したところ、自民党はそれでも23~29議席を失う結果が出ており、自民党の小選挙区候補者にとってはやはり“恐怖の試算”ではある。

 ここで数量的データではなく、選挙の現場での「支援の熱量」についての実話を紹介しよう。かつて自民、公明両党の推薦を受けて東京都知事選に出馬した石原信雄氏から聞いた話だ。石原氏は竹下登内閣から村山富市内閣まで7代の内閣で官僚組織のトップである「内閣官房副長官(事務)」として支えた後、都知事選に出馬(落選) した。以下は彼の話だ。

「自民党や関連業界団体の激励会で私が挨拶すると、集まった人達は私に決まって『頑張ってください』と言うのです。ところが公明党関係の集会では、私を支援者が取り囲み、口々に『頑張りますから』とおっしゃる。握手一つをとってもその強さが全く違うのです」

「『頑張ってください』は激励の言葉ではあっても頑張るのは候補者の私自身なのです。一方、『頑張ります』は、支援者の皆さんが自ら票集めに汗をかくという決意の表明なのです。熱量がまるで違いました」。自民党系と公明党系の支持者の応援の真剣度の違いを肌で感じたという。

 この石原氏の話を何人かの自民党の小選挙区候補者に話し、受け止め方を聞いたことがある。決まって返ってきたのが「全く石原さんのいう通りです。自民党系の集会では一応、顔を出しているだけという空気も感じられ、公明党系とはまるっきり熱気が違うのです」という感想。

 公明党は次期総選挙では小選挙区での出馬は絞り込み、比例代表に重心を移す方針だ。ただ、公明党支持者も比例代表の投票のために投票所に足を運ぶ訳で、小選挙区だけを棄権したり、白紙投票するわけではない。公明党は「各地域ごとに人物本位で判断してもらう」(斉藤代表)という。このため、公明支持者の票がそっくり野党の立憲民主党候補等に流れることはないとしても、仮に半分でも自民党候補から離れて他候補に流れれば計算上は「行って来い」でその効果は2倍になり、自民党候補への打撃が大きいことは事実だ。だからこそ連立の組み換えで自民・維新VS野党という中央の永田町での政争とは別に、いま、全国の各地域では自民党候補が公明党と「従前どおりのお付き合いを」と神経を使い、自民党鹿児島県連等は「公明党との関係維持」を確認、党本部に伝えたほどだ。衆院議員の定数削減問題もあり、今後も流動的要素はあるが、「公明党支持者の投票行動が高市早苗政権の命運を握っている」と言っても過言ではないのだ。

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2025年11月 7日 (金)

第124話 「広島愛の川」物語

 本誌『リベラルタイム』2025年8月号のこの欄で「一本の鉛筆」物語を取り上げた。

「一本の鉛筆があれば  

 私はあなたへの愛を書く

 一本の鉛筆があれば

 戦争はいやだと私は書く

 一本の鉛筆があれば

 八月六日の朝と書く

 一本の鉛筆があれば 

 人間のいのちと私は書く」

 人類史上初の被爆の惨劇から30年が経とうとしていた1974年、広島テレビ主催の「1回広島平和音楽祭」が開催された。「歌謡界の女王」美空ひばりが「一本の鉛筆」を歌い、それを加藤登紀子、二階堂和美等、多くの歌手がカバーしてきた反戦歌だ。

 今回は「広島 愛の川」物語をお伝えしたい。

「愛を浮かべて 川流れ 

 水の都の 広島で 

 語ろうよ 川に向かって 

 怒り、悲しみ、優しさを 

 ああ、川は 広島の川は 

 世界の海へ 流れ行く」

「愛する我が子に 頬ずりし

 姿川面に 写す日々

 誓おうよ 川に向かって

 怒り、悲しみ、優しさを

 ああ、川は 広島の川は

 世界の海へ巡り行く」

 80年前のあの日、多くの人が熱線に焼かれた身体を冷やすために飛び込んだ元安川。その川辺で今年も灯篭流しが行われた。亡くなった人の供養のため、肉親らが灯篭にそれぞれの想いを書き込み、川面に流し、夜遅くまで続いた。

 それを見おろす「おりづるタワー」の屋上から加藤登紀子、島谷ひとみ、二階堂和美、TEEHIPPYらの歌手がそろい、170人の子ども達が加わって「広島 愛の川」を朗々と歌った。大合唱は広島テレビで生中継され、極めて大きな反響を呼んだ。

「広島 愛の川」の作詞は、原子爆弾の惨状を描いた漫画『はだしのゲン』の作者・中沢啓治だ。『はだしのゲン』は中沢が自らの被爆体験をもとに原爆の恐ろしさ、命の尊さ、平和への願いを込めて描いた反核漫画の決定版ともいえる作品、世界25カ国で読み継がれている。

 中沢は2012年にがんで亡くなる。妻ミサヨさんが遺品整理をしていたところ、一遍の詩が見付かった。人づてに知った作曲家・山本加津彦はその詩の強いメッセージ性に突き動かされた。ミサヨさんとは面識がなかったが直談判、話し合いを重ね、ミサヨさんは詩を山本に預けた。山本は曲をつけ、「この詩を対等に歌いこなせる歌手は加藤登紀子」と考え、直接交渉、中沢夫妻が加藤のファンだったこともあって14年に「ユニバーサルミュージック」からリリースされた。また、加藤の提案で『はだしのゲン』の一部を「語り」として追加、子ども達による合唱バージョンも制作された。それが15年から灯篭流しの場で、歌い継がれてきた。ただ、この曲は全国では必ずしもポピュラーではない。加藤が曲のテーマ性から、自らのコンサートでも時と場所を厳選して歌ってきたからだ。

 昨年秋、私は山本と話す機会があった。「バラの街」で知られる広島県福山市が2024年5月に「世界バラ会議」を開催するにあたり、その事前イベントとして24年加藤登紀子の「百万本のバラ」コンサートを企画した。その際、山本と加藤の提案で、地元の小中学生による合唱付きで「広島愛の川」も歌ってもらったところ、大きな感動と反響があった。そこで作曲家の山本と、この「愛の川」について、「失礼だが、私も広島に住んで10年を超えるが、この歌の存在は知らなかった。これまでの活動には敬意を表するが、地道にやっているだけでは広がりが生まれない。メディアの力を利用してはどうか。広島テレビとして生中継を企画したい。テレビを通じてこの曲を広く知らせ、全国に配信もしたい」と提案、実現に至った。

 そして今年8月6日は多くのボランティアや子ども達が「広島愛の川プロジェクト」のTシャツを着て、灯篭流しで歌った後、対岸の「おりづるタワー」に移動し、屋上で広島の空に向かって大合唱。現場に集まった聴衆はもちろん、テレビの生中継を見ていた視聴者からも「涙ながらに見ていました」というメールが届いた。ミサヨさんも駆けつけ、終了後はお互いに涙ながらに喜び合った。しかし、山本は事前の企画、準備、ボランティア集め、合唱練習、資金協力のお願いの大変さと、今回の達成感から「今年で最後にしたい」という。私は「この曲は子ども達の合唱で引き継がれていくことが大事だ。何らかの形で続けられないか。被爆80年を終わりにしてはならない」と伝えている。山本と話すことになろう。

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2025年10月28日 (火)

第125話 まだまだ「官」の郵便局

 郵便物の不配や放置等「日本郵便」の不祥事が後を絶たない。しかも「過失の場合なら不公表」という。これでは、差出人は郵便物が相手に届いたかどうかわからず不安だ。私も最近、郵便局の「官」体質を実体験した。些事ではあるがレポートする。

 9月、私は大分市に住むMさんに電話をかけた。しかし、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」。2年前は同じ番号に電話してアポを取り、自宅まで出向き、1時間以上インタビューして論壇誌に寄稿した。

 Mさんは80年前、八幡製鉄(現日本製鉄)の設計技師見習工だった。 8月9日、米軍は広島に続く原子爆弾の投下地点を小倉(現福岡県北九州市)と定め、B29が原爆「ファットマン」を搭載して小倉を目指していた。一方、Mさんは防空情報を受け、製鉄所構内に広く並べられたドラム缶のコールタールに火を着け、空に黒煙を放った。これまで何回か空襲を受けてきた八幡製鉄では何度も訓練してきた「煙幕作戦」だ。それを9日にも実行したのだ。9日の小倉は前日の八幡市街地の大規模空襲によるモヤも流れ上空に広がっていた。

 米軍公電資料によれば原爆投下目標地点の小倉は「some haze and heavy smoke」(もやと濃い煙)で「Target was obscured」(目標が見えなかった)。B29は小倉への投下を断念、長崎に転じた。よく「小倉が曇りだったので長崎に」と伝えられるが間違い。長崎の原爆資料館の展示でも「小倉は視界不良だった」とは書かれているが「曇り」の表記はない。Mさんは「自分らが放った黒い煙が煙幕になり、自分らのせいで小倉、八幡は助かったが、長崎の人に大変な迷惑をかけた」と苦悶し続けた。戦後一度も長崎を訪れることはなかった。彼は「歴史の証人」なのだ。ここではそれがテーマではないので、関心がある方は拙書『記事で綴る私の人生ノート』(文藝春秋社)を参照してほしい。Mさんも実名で記載している。

 私が9月にMさんに電話したのは追加的に取材したいことがあったためだ。今回も電話でアポを取り、自宅に出向くつもりだった。しかし、電話が通じない。そこで住所がわかっていたので、往復はがきを出した。「往」欄にはMさんの住所氏名と取材依頼の趣旨を書き、「復」欄には私の住所・氏名等を書いて投函した。ところが翌日に「往復はがき」のまま我が家に届いたので「いやに早いな」と思った。ただ、返信には何も書かれていない。よく見ると私宛の「復」欄だけに消印があり、「往」欄にはない。大分に送られるはずのはがきが、先方には向かわずにそのまま返って来たようだ。

 私は広島駅前の郵便局に出向き、事情を訴えたが、最初は「何が問題なの?」という対応。私は「往」欄に消印がなく、「復」だけにあることを指摘して、「往復はがきが先方に向かわずに戻されたのではないか」と説明した。窓口の係員は奥の席の上司と相談、上司が私の応対係となった。私は同じことを最初から説明しなければならなかった。

 ところが上司は「この局ではなく、別の基幹郵便局で事情を話してほしい」と“たらい回し”にしようとした。私はムカッときたが、カスタマーハラスメントと勘違いされないように、静かな口調で「そちらの配達ミスなのに、こちらがバスに乗って基幹局まで出向くのですか」と再考を求めた。すると上司は電話でどこかと相談、20分ほど待たされた後、「失礼しました。配達ミスですので、ウチで対応します」とのこと。

 ただ、「『往』の85円分は後日、基幹郵便局からお客さまに切手が送られます。『復』の85円分はすでに消印が押されてあるため、払い戻し扱いとなり手数料6円が掛かります」との説明。「郵便局がミスを認めたのに、なぜ、こちらが手数料を負担するのか」と疑問に感じた。しかし、「もう面倒だ。時間がもったいない」と考え、手数料6円を差し引いた差額分だけの切手をいただいて引き上げた。あれから1カ月が経過した。しかし、基幹郵便局から「往」の85円分の切手は送られて来ていない。

 実に些末な体験だ。ミスは誰でもする。私が指摘したいのは、わずかなはがき代でも手数料負担の問題でもない。事後対応だ。かつて小泉純一郎首相が「政治生命」をかけたはずの「郵政民営化」から20年近くが経った。組織は分離されたがJR(国有鉄道)、NTT(日本電信電話公社)に比べて、「日本郵便」には「官」の意識が根強く残る。「完全民営化はまだまだ」というのが私の率直な感想だ。

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