2025年12月 2日 (火)

第126話 「頑張って」と「頑張ります」の大違い 高市政権の命運 公明が握る?

 初代内閣総理大臣の伊藤博文以来140年が経過し、日本にも初の女性総理(第104代)が誕生した。かつてのサッチャー英首相、メルケル独首相、インドのインディラ・ガンジー首相や現在のメローニ伊首相等、女性のトップリーダーは国際的にはさして珍しくはない。国際連合によれば、2025年9月時点で世界には女性の大統領や首相は32人存在する。それでも「初の女性総理」であることや、高市首相の歯切れがよい言葉が響きがよいのか、各種世論調査で内閣支持率は高い。自民党本部は「次期総選挙ではかなりの浮動票も期待でき、参院選で参政党に逃げた保守票も取り戻せる」と意気込む。しかし、地方では自民党の衆院議員は「公明党の連立離脱で支持層が離れれば自分たちの当選はおぼつかない」と不安の声が噴出している。

 公明党の斉藤鉄夫代表は自民党との連立離脱の際、「国政選挙では党本部として自民党候補は推薦しないし、わが党候補も自民党から推薦を受けない」と明言した。これを受けてメディア各社は、次期総選挙の小選挙区での自民党候補への影響について試算している。JX通信社によれば、前回総選挙の小選挙区で当選した自民党議員132人のうち、52人が落選するとの衝撃的試算を公表した。この試算は前回総選挙の各小選挙区で自民党候補が獲得した票から、その選挙区での公明党の比例代表獲得票数を機械的に差し引いたものだ。その結果、比例代表獲得議席が前回と同じと仮定した場合、自民党は過半数はおろか比較第一党の座も立憲民主党に奪われるという計算になる。ただ、これは単純な“机上の試算”であり、選挙の実態とは少し乖離している。自公連立以降の総選挙では、公明党が立候補していない小選挙区では「小選挙区は自民党の〇〇へ、比例代表は公明党へ」というバーターの相互協力が常態化しており、公明党の比例代表獲得票の中も自民党支持層から入った票が1割程度とあるとされているからだ。

 このため、次期総選挙でも公明党の比例分がそっくり自民党候補から剥がれることにはならない。しかし、共同通信社や読売新聞社が前回総選挙時の出口調査を基に支持政党別の投票行動から試算したところ、自民党はそれでも23~29議席を失う結果が出ており、自民党の小選挙区候補者にとってはやはり“恐怖の試算”ではある。

 ここで数量的データではなく、選挙の現場での「支援の熱量」についての実話を紹介しよう。かつて自民、公明両党の推薦を受けて東京都知事選に出馬した石原信雄氏から聞いた話だ。石原氏は竹下登内閣から村山富市内閣まで7代の内閣で官僚組織のトップである「内閣官房副長官(事務)」として支えた後、都知事選に出馬(落選) した。以下は彼の話だ。

「自民党や関連業界団体の激励会で私が挨拶すると、集まった人達は私に決まって『頑張ってください』と言うのです。ところが公明党関係の集会では、私を支援者が取り囲み、口々に『頑張りますから』とおっしゃる。握手一つをとってもその強さが全く違うのです」

「『頑張ってください』は激励の言葉ではあっても頑張るのは候補者の私自身なのです。一方、『頑張ります』は、支援者の皆さんが自ら票集めに汗をかくという決意の表明なのです。熱量がまるで違いました」。自民党系と公明党系の支持者の応援の真剣度の違いを肌で感じたという。

 この石原氏の話を何人かの自民党の小選挙区候補者に話し、受け止め方を聞いたことがある。決まって返ってきたのが「全く石原さんのいう通りです。自民党系の集会では一応、顔を出しているだけという空気も感じられ、公明党系とはまるっきり熱気が違うのです」という感想。

 公明党は次期総選挙では小選挙区での出馬は絞り込み、比例代表に重心を移す方針だ。ただ、公明党支持者も比例代表の投票のために投票所に足を運ぶ訳で、小選挙区だけを棄権したり、白紙投票するわけではない。公明党は「各地域ごとに人物本位で判断してもらう」(斉藤代表)という。このため、公明支持者の票がそっくり野党の立憲民主党候補等に流れることはないとしても、仮に半分でも自民党候補から離れて他候補に流れれば計算上は「行って来い」でその効果は2倍になり、自民党候補への打撃が大きいことは事実だ。だからこそ連立の組み換えで自民・維新VS野党という中央の永田町での政争とは別に、いま、全国の各地域では自民党候補が公明党と「従前どおりのお付き合いを」と神経を使い、自民党鹿児島県連等は「公明党との関係維持」を確認、党本部に伝えたほどだ。衆院議員の定数削減問題もあり、今後も流動的要素はあるが、「公明党支持者の投票行動が高市早苗政権の命運を握っている」と言っても過言ではないのだ。

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2025年11月 7日 (金)

第124話 「広島愛の川」物語

 本誌『リベラルタイム』2025年8月号のこの欄で「一本の鉛筆」物語を取り上げた。

「一本の鉛筆があれば  

 私はあなたへの愛を書く

 一本の鉛筆があれば

 戦争はいやだと私は書く

 一本の鉛筆があれば

 八月六日の朝と書く

 一本の鉛筆があれば 

 人間のいのちと私は書く」

 人類史上初の被爆の惨劇から30年が経とうとしていた1974年、広島テレビ主催の「1回広島平和音楽祭」が開催された。「歌謡界の女王」美空ひばりが「一本の鉛筆」を歌い、それを加藤登紀子、二階堂和美等、多くの歌手がカバーしてきた反戦歌だ。

 今回は「広島 愛の川」物語をお伝えしたい。

「愛を浮かべて 川流れ 

 水の都の 広島で 

 語ろうよ 川に向かって 

 怒り、悲しみ、優しさを 

 ああ、川は 広島の川は 

 世界の海へ 流れ行く」

「愛する我が子に 頬ずりし

 姿川面に 写す日々

 誓おうよ 川に向かって

 怒り、悲しみ、優しさを

 ああ、川は 広島の川は

 世界の海へ巡り行く」

 80年前のあの日、多くの人が熱線に焼かれた身体を冷やすために飛び込んだ元安川。その川辺で今年も灯篭流しが行われた。亡くなった人の供養のため、肉親らが灯篭にそれぞれの想いを書き込み、川面に流し、夜遅くまで続いた。

 それを見おろす「おりづるタワー」の屋上から加藤登紀子、島谷ひとみ、二階堂和美、TEEHIPPYらの歌手がそろい、170人の子ども達が加わって「広島 愛の川」を朗々と歌った。大合唱は広島テレビで生中継され、極めて大きな反響を呼んだ。

「広島 愛の川」の作詞は、原子爆弾の惨状を描いた漫画『はだしのゲン』の作者・中沢啓治だ。『はだしのゲン』は中沢が自らの被爆体験をもとに原爆の恐ろしさ、命の尊さ、平和への願いを込めて描いた反核漫画の決定版ともいえる作品、世界25カ国で読み継がれている。

 中沢は2012年にがんで亡くなる。妻ミサヨさんが遺品整理をしていたところ、一遍の詩が見付かった。人づてに知った作曲家・山本加津彦はその詩の強いメッセージ性に突き動かされた。ミサヨさんとは面識がなかったが直談判、話し合いを重ね、ミサヨさんは詩を山本に預けた。山本は曲をつけ、「この詩を対等に歌いこなせる歌手は加藤登紀子」と考え、直接交渉、中沢夫妻が加藤のファンだったこともあって14年に「ユニバーサルミュージック」からリリースされた。また、加藤の提案で『はだしのゲン』の一部を「語り」として追加、子ども達による合唱バージョンも制作された。それが15年から灯篭流しの場で、歌い継がれてきた。ただ、この曲は全国では必ずしもポピュラーではない。加藤が曲のテーマ性から、自らのコンサートでも時と場所を厳選して歌ってきたからだ。

 昨年秋、私は山本と話す機会があった。「バラの街」で知られる広島県福山市が2024年5月に「世界バラ会議」を開催するにあたり、その事前イベントとして24年加藤登紀子の「百万本のバラ」コンサートを企画した。その際、山本と加藤の提案で、地元の小中学生による合唱付きで「広島愛の川」も歌ってもらったところ、大きな感動と反響があった。そこで作曲家の山本と、この「愛の川」について、「失礼だが、私も広島に住んで10年を超えるが、この歌の存在は知らなかった。これまでの活動には敬意を表するが、地道にやっているだけでは広がりが生まれない。メディアの力を利用してはどうか。広島テレビとして生中継を企画したい。テレビを通じてこの曲を広く知らせ、全国に配信もしたい」と提案、実現に至った。

 そして今年8月6日は多くのボランティアや子ども達が「広島愛の川プロジェクト」のTシャツを着て、灯篭流しで歌った後、対岸の「おりづるタワー」に移動し、屋上で広島の空に向かって大合唱。現場に集まった聴衆はもちろん、テレビの生中継を見ていた視聴者からも「涙ながらに見ていました」というメールが届いた。ミサヨさんも駆けつけ、終了後はお互いに涙ながらに喜び合った。しかし、山本は事前の企画、準備、ボランティア集め、合唱練習、資金協力のお願いの大変さと、今回の達成感から「今年で最後にしたい」という。私は「この曲は子ども達の合唱で引き継がれていくことが大事だ。何らかの形で続けられないか。被爆80年を終わりにしてはならない」と伝えている。山本と話すことになろう。

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2025年10月28日 (火)

第125話 まだまだ「官」の郵便局

 郵便物の不配や放置等「日本郵便」の不祥事が後を絶たない。しかも「過失の場合なら不公表」という。これでは、差出人は郵便物が相手に届いたかどうかわからず不安だ。私も最近、郵便局の「官」体質を実体験した。些事ではあるがレポートする。

 9月、私は大分市に住むMさんに電話をかけた。しかし、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」。2年前は同じ番号に電話してアポを取り、自宅まで出向き、1時間以上インタビューして論壇誌に寄稿した。

 Mさんは80年前、八幡製鉄(現日本製鉄)の設計技師見習工だった。 8月9日、米軍は広島に続く原子爆弾の投下地点を小倉(現福岡県北九州市)と定め、B29が原爆「ファットマン」を搭載して小倉を目指していた。一方、Mさんは防空情報を受け、製鉄所構内に広く並べられたドラム缶のコールタールに火を着け、空に黒煙を放った。これまで何回か空襲を受けてきた八幡製鉄では何度も訓練してきた「煙幕作戦」だ。それを9日にも実行したのだ。9日の小倉は前日の八幡市街地の大規模空襲によるモヤも流れ上空に広がっていた。

 米軍公電資料によれば原爆投下目標地点の小倉は「some haze and heavy smoke」(もやと濃い煙)で「Target was obscured」(目標が見えなかった)。B29は小倉への投下を断念、長崎に転じた。よく「小倉が曇りだったので長崎に」と伝えられるが間違い。長崎の原爆資料館の展示でも「小倉は視界不良だった」とは書かれているが「曇り」の表記はない。Mさんは「自分らが放った黒い煙が煙幕になり、自分らのせいで小倉、八幡は助かったが、長崎の人に大変な迷惑をかけた」と苦悶し続けた。戦後一度も長崎を訪れることはなかった。彼は「歴史の証人」なのだ。ここではそれがテーマではないので、関心がある方は拙書『記事で綴る私の人生ノート』(文藝春秋社)を参照してほしい。Mさんも実名で記載している。

 私が9月にMさんに電話したのは追加的に取材したいことがあったためだ。今回も電話でアポを取り、自宅に出向くつもりだった。しかし、電話が通じない。そこで住所がわかっていたので、往復はがきを出した。「往」欄にはMさんの住所氏名と取材依頼の趣旨を書き、「復」欄には私の住所・氏名等を書いて投函した。ところが翌日に「往復はがき」のまま我が家に届いたので「いやに早いな」と思った。ただ、返信には何も書かれていない。よく見ると私宛の「復」欄だけに消印があり、「往」欄にはない。大分に送られるはずのはがきが、先方には向かわずにそのまま返って来たようだ。

 私は広島駅前の郵便局に出向き、事情を訴えたが、最初は「何が問題なの?」という対応。私は「往」欄に消印がなく、「復」だけにあることを指摘して、「往復はがきが先方に向かわずに戻されたのではないか」と説明した。窓口の係員は奥の席の上司と相談、上司が私の応対係となった。私は同じことを最初から説明しなければならなかった。

 ところが上司は「この局ではなく、別の基幹郵便局で事情を話してほしい」と“たらい回し”にしようとした。私はムカッときたが、カスタマーハラスメントと勘違いされないように、静かな口調で「そちらの配達ミスなのに、こちらがバスに乗って基幹局まで出向くのですか」と再考を求めた。すると上司は電話でどこかと相談、20分ほど待たされた後、「失礼しました。配達ミスですので、ウチで対応します」とのこと。

 ただ、「『往』の85円分は後日、基幹郵便局からお客さまに切手が送られます。『復』の85円分はすでに消印が押されてあるため、払い戻し扱いとなり手数料6円が掛かります」との説明。「郵便局がミスを認めたのに、なぜ、こちらが手数料を負担するのか」と疑問に感じた。しかし、「もう面倒だ。時間がもったいない」と考え、手数料6円を差し引いた差額分だけの切手をいただいて引き上げた。あれから1カ月が経過した。しかし、基幹郵便局から「往」の85円分の切手は送られて来ていない。

 実に些末な体験だ。ミスは誰でもする。私が指摘したいのは、わずかなはがき代でも手数料負担の問題でもない。事後対応だ。かつて小泉純一郎首相が「政治生命」をかけたはずの「郵政民営化」から20年近くが経った。組織は分離されたがJR(国有鉄道)、NTT(日本電信電話公社)に比べて、「日本郵便」には「官」の意識が根強く残る。「完全民営化はまだまだ」というのが私の率直な感想だ。

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2025年9月 2日 (火)

第123話 両陛下のモンゴル訪問で親日感が加速

 天皇、皇后両陛下によるモンゴル御訪問(7月6日から13日)の直後、7月下旬にモンゴルを訪れた。広島経済同友会の視察団の一員としての訪問、参加者の多くにとっても私にとっても初めてのモンゴルだった。モンゴルはもともと親日的な国だが、両陛下の訪問でそれが加速されていることを実感した。

 日本人にはモンゴルといえば「多くの大相撲の力士を輩出している国」というのが第一印象だろう。「歴史の授業で蒙古襲来(元寇)を教わったことがある」という程度だろうか。 そこでまず、モンゴルの基本情報を整理したい。 ①面積は日本の約4倍、ロシアと中国に囲まれた内陸国 ②人口約354万人、人口密度は世界最少。半数が首都ウランバートルに一極集中し、多くが遊牧民 ③ウランバードルは近代都市だが、国土の8割が草原地帯で羊、ヤギ、牛、馬等が自然放牧され、その数6500万頭 ④遊牧民は「ゲル」というテント風の住居に住み、1年に数回移動する。「2,3人で2時間程度で組み立てられる」という ⑤金、銀、銅、石炭、レアアース、ウラン等、鉱物資源が豊富で輸出額の約87%を占める。輸出先の9割が中国、輸入は中国が約40%、ロシアが約24%。日本は約10%で、中古車を含めた自動車が中心、大半がトヨタ車だった ⑥文字はロシア語に似たキリル文字、若者は英語、中国語、日本語への関心が高い ⑦政治は冷戦崩壊後に民主化され、大統領と1院制国会が並立している。

 両陛下の外国訪問は即位後、コロナ渦で行われず、インドネシア(2033年),イギリス(2024年)に次ぐ三度目。今回、訪問先がモンゴルになったのは「天皇陛下の強い要望による」(外務省の大使経験者)。戦後80年の節目に、硫黄島、広島、沖縄、9月に予定される長崎への訪問等、一連の「慰霊」の意味合いを持つ。

 終戦時、旧満州や朝鮮半島では日本兵や在留邦人がソ連軍に連行された。57万5千人が「シベリア抑留」とし極寒の地で森林伐採や鉄道、道路建設等の労働を強いられ、5万5千人が死亡した。うち1万4千人がモンゴルに移送され、2千人が亡くなっている。

 現在もモンゴルの政府庁舎や国立オペラ・バレエ劇場として使われている建物は抑留者が建設に従事した経緯があり、両陛下の歓迎式典は政府庁舎前の広場で行われた。また、両陛下は郊外の日本人慰霊碑も訪問、「故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々のご苦労に思いを致したい」と追悼された。実は海外抑留地での慰霊は歴代天皇で初めて。ロシアでの慰霊が事実上不可能な中で、モンゴルでの慰霊の意義は重い。

 両陛下がチンギス・ハーン空港に降り立たれた際、歓迎の印として差し出された「アーロール」という乳製品のお菓子を、その場で口にされたことがモンゴル国民に親しみを感じさせたようだ。両陛下はモンゴル最大の祭典「ナーダム」の開会式に出席、伝統楽器「馬頭琴」の演奏も楽しまれた。日本発祥の高等専門学校「新モンゴル学園」では学生達と交流された。

「両陛下の訪問は日本との友好促進の歴史的金字塔となった」が現地外交筋の大方の評価。特に天皇陛下の「モンゴルの広大な土地に蒔かれた(友好の)タネを、若者達がさらに高みに育てていくことを願う」というお言葉は、モンゴル人の親日感のアクセルになっているようだ。近年、増えている日本への留学希望者がさらに増えることは確実だという。

 モンゴル政府関係者は「両陛下の訪問準備は昨年春から始まった」と明かしてくれた。実は昨年8月に岸田文雄首相が訪問する予定だった。しかし、8月8日に「南海トラフ地震臨時情報」が初めて発令され、危機管理上、直前で中止になった経緯がある。両陛下の訪問は、モンゴル側にとって「待ちに待った」出来事だったのだ。

 モンゴルは2015年にスイスに似た「永世中立」を目指したことがある。中露に囲まれた地政学上の選択肢だったのだが、頓挫した。以降、韓国、欧米、日本との交流拡大を目指しているが、韓国が観光、貿易で日本より先行している。ウランバートルの劇場で民族舞踊を観たが、舞台袖の字幕はモンゴル語、英語と韓国語だけだった。ウランバートルは高層ビルが林立、建設ラッシュだった。しかし、日本製のクレーンやブルトーザーなど建設機材を見付けることはなかった。「遊牧民の国」から脱却しつつあるモンゴルで、両陛下の訪問を今後の日本との関係強化にどう繋げるかが課題だ。

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2025年8月 2日 (土)

第122話 大阪万博「フランス館への誘い」

以下は、私が広島日仏協会会長として、協会報に寄稿した大阪万博「フランス館」について視察体験記の再録だ。 

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 大阪・関西万博に出かけてきました。各国のパビリオンの中には先端テクノロジーを前面に出したり、「力」を誇示する国もあるのですが、ひときわ人気を集めているのがフランス館です。その底流に流れるのは「伝統と文化」です。フランス館のルポをお伝えします。

 私が出かけたのは6月19日、在日フランス商工会議所主催の「カクテル・ネットワーキング」という交流会でした。招待を受け、事前登録し、特別なパスをいただいていたので、万博会場に入るのに長い列に並ぶことはありませんでした。また、交流イベントの後、招待者がグループ分けされ、フランス館だけでなく、アメリカ、ドイツ、スイスなどのパビリオンも並ばずに見て回れ、後は自由行動で夜空のドローンショーも満喫できて感謝、感激でした。

「カクテル・ネットワーキング」には全国の日仏協会関係者ら約100人が集まりました。ジェローム・シュシャン商工会議所会頭が挨拶、「フランス館は毎日3万人の見学者があり、各国のパビリオンでは最も早く200万人を達成、人気のパビリオンになっている」と鼻高々でした。

 フランス館は万博会場のメインゲートの東入口から入るとすぐに目に入る場所にあります。赤、青、白3色のフランス国旗がたなびき、4階建ての建物そのものがアート作品のようでした。夜は照明に浮かび上がり、近くのアメリカ館が「いかつさ」を感じさせるのに対し、品格のある洒落たデザインの館は「エレガントを追求するフランス」を印象付けています。

テーマは「愛の讃歌」。「お互いが見えない魔法の糸で結ばれている」という「赤い糸の伝説」に因み、「自分への愛」「他者への愛」「自然への愛」をコンセプトにしている、という。それは昨今の「分断」と「対立」へのアンチテーゼなのでしょうか。

 フランス館に入るとまず、超有名ブランド企業LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)が企画した展示が並んでいます。言わずと知れた「ルイ・ヴィトン」はあのバッグを始めとする革製品のブランド、「モエ・ヘネシー」はドンペリニオンなどで知られるシャンパーニュやコニャックなど高級酒のブランド。世界的にも有名な二大ブランドが合併した会社です。ルイ・ヴィトンの大型トランク84個が天井まで壁一面に並び、それが鏡に映り、万華鏡のように広がり、「インスタレーション」(空間芸術)となっていたのは圧巻でした。

館内にはあちこちに「考える人」で有名な近代彫刻の父・オーギュスト・ロダンよる作品「手」が置かれています。「手作り」をアピールしており、それは「職人技の手仕事への誇り」であり、「芸術への熱情」でもあるという。「新たなテクノロジーは取り入れるが、伝統を消してはならない」という決意の表明なのでしょう。

 続いて「ワインの国フランス」のコーナー。「愛とアルザスワインほど悩みを忘れさせてくれる良い方法はない」というジョゼフ・グラフの言葉が掲示されています。ここではワインは飲めませんがが、交流会でいただいた端麗で洗練されたアルザスワインの香りがのどに残っている感じがしました。アルザス地方はボルドー、ブルゴーニュに続くフランスを代表するワインの銘醸地です。

 ワイン通でない私の聞きかじりですが、何でもワインの格付けが始まったのが1855年のパリ万博からだそうです。当時、すでに世界中の美食家にワインは愛飲されていましたたが、「どれが良いワインかよく分からない」との声が多く、ナポレオン3世が「フランスワインを世界にアピールせよ」と命じたそうです。これを受けてボルドーワインを1級から5級に分ける格付けがなされ、ワインがより分かりやすくなり、世界に広まっていったと聞きました。当時、世界の覇権国の「イギリスに負けるな」という思いがあり、「スコッチのイギリス」に対し、「ワインのフランス」の魅力を世界に発信したのです。

 先に進むと真っ白いオブジェが現れる。ともに海に浮かぶ宗教施設であり、世界遺産として観光名所になっているモン・サン・ミシェル修道院と宮島・厳島神社の大鳥居が3Dプリンターで再現され、それが“しめ縄”で繋がっているアイデアには微笑みました。広島日仏協会会長として一昨年にモン・サン・ミシェルを訪れ、昨年はお返しの代表団を日仏協会主催の「パリ祭」にお迎えしただけにしばらく思い出に耽りました。宮島のある廿日市市とモン・サン・ミシェル市は友好提携協定を結んでおり、廿日市市への外国人旅行者はフランス人が最多ですが、万博を契機にさらに伸びることを期待したいものです。

 次の展示へ歩を進めると、少し大きめだが真っ白なディオールのハンドバックが気品さを醸し出し、やはり純白のドレスやオートクチュール(高級注文服)が400点も展示され、多くの女性の目が吸い寄せられていました。ここでも「手作り」と「ファッションの国フランス」を再認識しました。

 出口には大人2人でも抱えきれないほどのオリーブの木が植えられていました。樹齢千年の古木で、万博のためにわざわざ南フランスから運んできたのだという。樹液が出ており、「触るとご利益がある」と言うので、皆さん手でさすっていました。さて、どんな幸せがもたらされるのか・・・。フランス館の一角にはフランス料理やワインが堪能できるレストランや記念グッズお土産コーナーもあり、大変な人気を博しています

 なお、日本では「パリ祭」と言われるフランス革命記念日の7月14日にはサンドリン・ムシェ在京都フランス総領事主催の祝賀行事がフランス館で開かれました。フランス政府からはナタリ・ドウトル観光担当大臣が出席、広島からは在広島フランス名誉領事の飯田政之・広島テレビ会長が招待され、出席しました。ドウトル観光相は翌15日に来広、平和記念碑に献花した後、横田副知事ら県の観光担当者らを交え、フランスと広島の観光交流について突っ込んだ意見交換をしました。また、8月8日にはモン・サン・ミシェル市と友好提携関係にある廿日市市主催の観光プロモーションイベントがフランス館で開催されました。松本太郎市長や観光団体関係者らが出席、フランスを始め外国人旅行客や全国から訪れる入館者に廿日市市の「体験、宿泊、食」に関する観光コンテンツをPRし、商談会も行われました。廿日市市が「発祥の地」とされ、近年、ワールドカップが開催されている「けん玉」のアトラクションも人気を集めました。

 万博は10月13日まで続きます。フランス館は事前予約がなくても入れますが、人気館なので入館待ちの列ができることが多く、午前の早い時間が比較的空いています。興味のある方は今からでもトライしてみてはいかがでしょう。

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