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2021年8月10日 (火)

あまり言わない言葉(其實平常不太說的詞)

僕が初めて聞いた日本語は「さようなら」です。

台湾でこの言葉が普段の生活や歌の歌詞によく使われているけど、

日本に来ると、

「さようなら」は日常ではあまり使わないと聞いて、

少し驚きました。

 

以前台湾にいたとき、

または日本語学校で勉強したとき、

「さようなら」は普通に言うんだから、

別に違和感がないと思っていました。

しかし今の日本人あまり言わないみたいです。

 

ある情報番組の調べによると、

日本人のイメージで「さようなら」は

ネガティブの言葉だそうです。

恋人が別れるときや大事な人に会えないときに使われています。

なので、

「さようなら」はさみしい表現のようですね

 

「さようなら」の代わりに、

退社や友達と別れるとき、

「お疲れ様です(でした)」、

「また明日」もしくは「また今度」がよく言われます。

やっぱり日本語の言葉は細かくて、

意味深いですね!

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三か月前、僕が6年住んでた大阪に「さようなら」して、広島にやってまいりました。
三個月前我向住了6年的大阪道別,來到了廣島。

 

我第一次聽到的日語是「莎喲那拉」,

也就是「再見」。

這個詞在台灣很常被用在日常生活或歌詞裡,

來到日本知道「莎喲那拉」是個死語後,

多少有點嚇一跳。

 

以前在台灣的時候,

或者是在日本語言學校的時候,

很常說「莎喲那拉」這個詞,

所以也沒有特別的違和感。

只是現在的日本人幾乎不說這個詞了。

 

根據某生活情報節目的調查,

在日本人的印象裡,

「莎喲那拉」給人有點悲觀的感覺,

和戀人分手或是和重要的人離別時才會說這個話。

因此「莎喲那拉」不是普通的「再見」,

而是有點沉重的「珍重再見」。

 

而在日本,

下班或是和朋友道別時,

取代「莎喲那拉」的詞是「辛苦了」、「明天見」或「下次見」。

日語的詞真的是分得很細,

意義也很深遠呢!

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