なのだ
山に登る、自転車で遠くまで行く、外に出てスケッチする。よく考えてみると、全部子どもの頃楽しかったことをトレースしてるんだよね。
結局、楽しいことは子どもの頃から変わらないのよ。
ということで、ひっそりと再開です。
写真は、8月に行った知夫里島の港。
ここから大アドベンチャーが始まったのだ!
詳しくはいずれまた。
山に登る、自転車で遠くまで行く、外に出てスケッチする。よく考えてみると、全部子どもの頃楽しかったことをトレースしてるんだよね。
結局、楽しいことは子どもの頃から変わらないのよ。
ということで、ひっそりと再開です。
写真は、8月に行った知夫里島の港。
ここから大アドベンチャーが始まったのだ!
詳しくはいずれまた。
単なるメモです。
One love one heart let's get together and feel alright.
Everything's gonna be all right.
先週の土曜日、お世話になっている近畿大学工学部で、弦楽四重奏のコンサートがありました。
出演するメンバーの中に友人もいるので、ぼくもいそいそと出かけました。
広島交響楽団のメンバーで構成された四重奏は、第一バイオリンの人の軽妙なおしゃべりと素敵な演奏で、とても楽しいものでした。
曲目もわかりやすいものばかりで、日頃クラシック音楽になじみのない人でも、充分に楽しめたと思います。
子ども連れのお母さんが、心から楽しそうに音楽を聴いていたのが印象的でした。
大学が、学校の施設を使って、このような文化的なイベントを開催するのは、とても素晴しい事だと思います。
工学部という、お固いイメージの学校が開催するというミスマッチが、またいいですね。
これからも、つづけて欲しいと思います。
少年「じょうずじゃったね」
父「そりゃそうよ、ありゃ広島交響楽団のひとなんで、プロなんで」
少年「すげえ」
夏の夕暮れ時、コンサートが終わって、音楽のお話をしながら家路に向かう人たちの姿は、とても幸せそうに見えました。
それにしても、「ドラえもん」の弦楽四重奏なんて初めて聴いたよ。
先日なにげなくテレビを見ていたら、この句が画面に映りました。
漂白の俳人、種田山頭火の句です。
最晩年に詠まれたもので、いわゆる辞世の句と言われているようです。
俳人だった父は、この山頭火をあまり評価していませんでした。
山頭火より、高浜虚子が好きだったようです。
そういうことを聞かされていたせいか、ぼくも山頭火の句は、あまり面白くないと思い込んでいました。
でも、この句が画面に映った時、軽い戦慄が走り、
「あっ、これはいい」と、すぐにメモを取ったのです。
旅や、自由へのあこがれが、この短い俳句の中に見事に表現されているような気がするでしょ。
勝手にこの句を、ぼくの来年のキャッチフレーズとします。
この年末から新年にかけて、仕事が大変なことになり、ぼくもスタッフもお正月返上で働きます。
そんな中、この句を見ると、とても清々しい気持ちになるんですよね。
さて、デパ地下で美味しいものたくさん買って帰るべ。
↑比婆山 公園センター
難しいのは、描くことではなくて、描き続けること。
絵を描くとゆうことは、ものをしっかり見るということ。
素晴しい絵を描く画家の多くは、国内や世界中を放浪しているということ。
結局、まだ自分の作品といえる絵を描いていないこと。
ピクルスの一本食いは美味しい。
自転車が歩道を走るのは、日本だけだということ。
明らかに、道路行政は自転車を疎外してる。
ひょっとして、青汁って健康にいい?(最近飲んでまっす)
お肉をモグモグしながら赤ワインを口に含むと、とても美味しい。
アメリカの映画に、アップルコンピュータとスターバックスの露出が多い。
(「プラダを着た悪魔」では、メリル・ストリープが毎朝飲むのが、ノンファットミルクでエクストラホットのラテ。事務所のコンピュータが全部アップル社)
一年ほとんどゴルフをしないと、とってもへたくそになっちゃったこと。
などなど・・・だからどうしたって言えば、そうなんだけどね。
自転車があれば、何ができるかを考えてみました。
まず、通勤。
高い駐車場料金もいらないし、余計な排気ガスをまき散らすこともない。
帰りは自由に寄り道ができるのがいいですね。
それから、当然ですが、長距離ツーリング。
自転車で瀬戸大橋を渡って、香川までうどんを食べに行く強者もいるそうです。
そこまでしなくても、中国山地の山間の道を走るといいだろうな、と思います。
スケッチするにも、徒歩では遠すぎる、車では見過ごしてしまう風景を探すのに、自転車は最適ですね、
山歩き。
車に自転車を積んで出かけ、あらかじめ下山地点に自転車を置いておき、登山口まで車で行って山に登り、下山したら自転車で車まで戻る。
というふうにしたら、一人縦走ができます。
街乗り。
暇な休日、ふらりと自転車に乗って美味しい店を探しに行けます。自転車だと、けっこう細かに探せるのではないでしょうか?
海に行くときも自転車を車に積んでおけば、波が無かったり、コンディションが悪いときなど、海岸沿いをツーリングできますね。
ツール・ド・フランスは無理でも、ホノルル・センチュリーライドに出場できます。マウイ島でも市民参加の自転車競技があるらしいぞ!
絵のように自転車にボードキャリーをつけて、自宅から水着、あるいはウエットスーツのまま海に向かう。という光景を、湘南やワイキキではよく目にします。
それはそれはうらやましい光景ですが、広島では到底無理な話です。こうなると、海のそばに移住するしかありませんね。
こうしてみると、いまの生活に自転車一台追加することによって、楽しさが倍増することがわかりますよね。
おい!どうするんだい!どうなんだい!?
土曜日、屋外でただ立っているだけなのに、尋常ではない多量の汗が体から流れ出し、家に帰ってから、夕食を食べるときも、クーラーの効いた部屋にも関わらず、やはり多量の汗が流れました。
これは体になにか異変が起きているのではないかと心配になり、翌日、内科医ノブリンに相談したところ、
「あー、それは暑かったんじゃろう」と、一笑にふされました。
そりゃそうだけど・・・
かつて友人のフンちゃんが、頭が痛いと同じくノブリンに訴えたところ、
「あー、そりゃ疲れよ〜〜」と、相手にしてもらえませんでした。
もう20年以上前になるでしょうか、ノブリン内科医院で胃の検査のためバリュームを飲みました。
胃の中に傷があったらしく、胃カメラで精密検査をするので、また来るようにと言われたのですが、
胃カメラなんて恐ろしくて飲む気がしないぼくは、ノブリンから音信を絶つことにしました。
そして、4ヶ月が過ぎ、突然、ノブリンから会社に電話がかかってきました。
いやいやながら電話に出ると、
「コラ!はやく検査にきなさい!!」
「はやく検査をしないと、患部が治ってしまうじゃないか!」
えっ?
そして、今から約10年前のことです。
体に発疹ができて、あまりに痒かったので、かゆみ止めをもらおうとノブリン内科医院に行きました。
「これ、見てや!!ダニにかまれたようで、痒くてたまらんのんよ」
と、患部を見せたところ、
「お前はバカか!?これは、”帯状疱疹”という立派な病気でえ!よくもここまでほおっておいたもんよ」
と、初めて、ちゃんとした病名を告げられて、ショックとともに、少しうれしかったのを覚えています。
とうのが、ぼくのホームドクターです。
大丈夫、ぼくはいまでも元気にやってます。
昨年の秋に作った玄関先の小さな庭が美しい新緑をつけました。
作ったときは秋なので、冬を越して、はじめて迎える春。
想像していた以上に感じのいい庭になりました。
庭といっても、2坪に満たない小さなものですが、さすがにプロの仕事、どの草木もしっかり元気に育っています。
それにしても、新しい芽がぷっくりと顔を出し、それが日に日に萌えてくるのは感動的です。
いままで、植物には特に興味もなかったのですが、山を歩いているうちに自宅にも小さな雑木林がほしくなり、友人のフラワーコーディネーターNONちゃんに、ガーデナーを紹介してもらい作ってもらいました。
毎日会社の行き帰りに眺めて、ワクワクしています。
ぼくの従兄弟は、植物が大好きで、奥さんの話によると、会社から帰って鞄を玄関先に投げたまま庭に行き、土をいじくったり、植物を見てたりで、約2時間は家に入ってこないそうです。しかもほぼ毎日。
ぼくも、従兄弟の気持ちが少しだけわかるようになりました。
夏になって、重いっきり水をやるのが楽しみです。
気がつけば、昨年12月20日から更新していない。
今年の年末は、楽しかった。
まず、広島女学院主催の「メサイア」コンサート、いい演奏でした。特にソプラノのソロがきれいでした。
高校生の頃、はじめてメサイアコンサートに出かけるとき、母親が
「わたしゃ、こう見えても女学院クワイアだったのよ」
と、自慢げに話してくれたのを思い出す。今でも、どうも信じがたい・・・あの、お袋が?
ウクレレ教室の忘年会。楽しかった。
Iさん宅での持ち寄り食事会。料理もおいしかったし、たくさんお話をした。
もちろん、わが社の忘年会も楽しかった。
小学生の頃から知っている、Mちゃんと久しぶりの再会。彼女のお母さんも一緒にイタリアン。すっかり大人の女性になって、でも、幼い頃の面影は消えていない。
大晦日、実家が牡蠣の養殖、販売をしている甥っ子の嫁さんが、から付き牡蠣をたくさん持ってきてくれたので、みんなで食べた。美味しかった。
明けてお正月。
子供の頃から、どうも、お正月は好きでない。
クリスマス前から、年末にかけての雰囲気が好きなので、
楽しいことは、全部終わったのよってな感じがしてね。
そうはいっても、
休み中にやっと、自室の大整理を敢行し、倉庫から書斎に大変身。
なかなか楽しい作業だった。
これで、自宅で本を読んだり、絵を描いたりする環境ができた。
ただ、この部屋、エアコンがないんだよね。
冬場はヒータでなんとかなるけど、夏はどうしよう・・・
いづれにしろ、
「めでたさも 中くらいなり おらが春」
といったところでしょうか。
さあ、暖かくなるまでの休日は、散歩、映画、読書を楽しもう。
そして、暖かくなったら、ボード積んで旅に出るよ。
先日、家に帰ってテレビをつけると、画面から、子ども達のお祈りが聞こえてきた。
それは、NHK「被爆60周年/平和巡礼2005」の長崎浦上天守堂で行われたコンサートの中継番組の中だった。
ぼくは、バッグも降ろさず、そのままテレビの前に立ちすくんでしまった。
いままで、何度かこのお祈りを聞いたり、読んだりしているけど、なぜだか今回は、心の奥に深く問いかけてくるものがあり、
不覚にも涙してしまった。
「平和の祈り」
神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け、導いてください。
神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを 望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。
これは、マザー・テレサが最も愛した祈りだという。
ぼくは、祈りというのは、神様に自分勝手なお願いごとをするのではなく、自分がなにをするかを神様の前で約束する、決意表明のようなものだと思っている。そういう意味で、このお祈りは、単なるセンチメンタリズムを超えて、自分達が何をすべきかの決意が込められた、素晴らしい『祈り』だと、今さらながら感銘を受けたのである。
後日、このコンサートに参加していた、広島交響楽団のメンバーに話を聞くと
「ぼくらも、後ろに控えていたけど、感動しましたよ」
「だけど、もっと感動したのが吉永小百合さんの朗読。もううるうるでした」
残念ながら、ぼくがテレビをつけた時には、吉永小百合さんの朗読は、終わっていたので、聞き逃してしまったよ。