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2018年7月 2日 (月)

徒然エッセイ 第15話 カンボジア紙幣に日章旗が!!

<カンボジアで驚きの発見>

 カンボジアを旅して驚いた。カンボジアの紙幣に日本の国旗「日の丸」が描かれていたのだ。

 カンボジアの通貨単位はリエル。紙幣は五十リエルから十万リエルまである。そのうち五百リエル紙幣に「日の丸」が印刷されていたのだ。紙幣とは「国そのものの象徴」だろうに、なぜ外国の、しかも日本の国旗なのか・・。

 この記事の下の写真を見てほしい。五百リエル紙幣の裏面全体(上)と右半分のアップ(下)だ。全体の写真には日本の政府開発援助(ODA)でメコン川に架けられた「きずな橋」が左に見える。そして、下のアップ写真にはカンボジア国旗とともに「日の丸」がよく見える。

<初めて見る外国紙幣の日章旗>

旅好きの私はこれまで世界五十か国以上を訪れているが、外国紙幣に「日の丸」を見たのは初めてだ。調べても他に例を探すことができない。

 カンボジアは第二次世界大戦後にフランスから独立したが、その後も隣国ベトナムから侵攻され、さらに長い内戦の中でポルポト派による二百万人ともいわれる自国民虐殺という不幸な歴史が続いた。

国連が主導し、日本など十九か国の仲介で停戦がなったのが一九九一年。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC、明石康特別代表)の活動により、九三年の選挙を経て平和が回復し、復興が始まった。カンボジアの「戦後」はまだ、わずか二十五年の歴史なのだ。

その戦後復興協力として日本は道路、橋などインフラ整備の役割を担った。それに対する感謝の気持ちが五百リエル紙幣の「日の丸」になったのだ。

<経済成長著しい>

カンボジアは近年、外国からの投資により九%台の高度経済成長を続けている。人件費コストが安い上、若年労働力を安定的に確保できるため、日本企業の進出は五年間で数倍に増え、縫製業などの“生産工場”になっている。

首都プノンペンには日本食レストランが百五十軒もあり、社会インフラが整備され、「今では東南アジアでは数少ない水道水が飲める首都」(現地日本商工会)だという。日本からのビジネスマン、観光客も増え続け、二年前からは全日空直行便も就航している。

<プノンペンのイオンモール>

 プノンペンに日本のイオンモールがある。モール内の店舗数百九十店と大型で、オープンから年半でカンボジアの人口千五百万人を上回る計千七百万人の来客があり、買い物客の大半がカンボジア人だという。

「若者たちは王宮の丘でメコン川を見ながらデートしてイオンに行くのがトレンド」と聞いた。日本の投資は現地で好意的に受け止められ、イオンはすでに郊外に二店目を計画中だ。

<アンコールワットと日本人>

 カンボジアと言えば、誰もが真っ先に思い浮かべるのが世界遺産のアンコールワットだろう。プノンペンから飛行機で四十五分。世界から観光客が押し寄せる中、ホテル前には日の丸がはためいていた。土産物屋には「いらっしゃいませ」という日本語の看板があり、街には日本食店が十軒あるという。日本人観光客は中国人、韓国人とともにトップグループを占める。

<カンボジアとPKO>

 カンボジアは日本の国連PKO(平和維持活動)派遣の第一号だ。全土が荒廃した内戦の終結を確認したうえで、国造りの基本である総選挙の実施を見届け、国連の一員として道路、橋、病院などインフラを建設し、地雷を撤去した。

<PKO派遣は軍国主義復活か?>

ただ、PKOへの自衛隊の派遣に対し、当時の野党第一党の社会党は「海外派兵だ」「軍国主義復活につながる」「戦争に巻き込まれる」と徹底して反対した。「一国平和主義の内弁慶」には「国際貢献」という視点が全くなかった。社会党は衆院議員全員が議員総辞職願を提出(受理されない裏約束を自民党に確認したうえでのパフォーマンスだったのだが)してまで抵抗し、徹夜国会の末、ようやくPKO法案が成立した。

ただ、当時から「国連主導のカンボジア復興協力に日本が何も貢献せず、復興後になって日本企業が進出し、アンコールワットが日本人観光客であふれるなど平和の果実だけに預かろうというのは身勝手過ぎる」との政府の見解に対し、国民世論も一定の理解を示していた。

 あの時の日本が「国際貢献」「国際責務」として決断し、カンボジア復興を手助けした結果、今、日本からの出資→現地生産→対日輸出という形で経済面でも日本が利益を受けている。それはウイン・ウインの関係でもあり、両国は相互に「きずな橋」で繋がり、カンボジア紙幣の「日の丸」はまさにその象徴となっているのだ。

 

<戦争巻き込まれ論の政党の存在は?>

 一方、あの時、「戦争巻き込まれ論」を唱えた野党第一党は雲散霧消状態で、今その存在を国会の中に探すのが難しい。

五百リエル紙幣の「日の丸」が様々なことを教えてくれたカンボジアの旅だった。  

                              (自由待夢)                 

                   「リベラルタイム」2018年8月号より 

(自由待夢)11blog_3


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