徒然エッセイ第47話 司法試験合格者 初の「定員割れ」
司法試験5回挑戦するも合格せず
友人のA君は高校生の頃から、弁護士になるのが夢だった。当然のように大学は法学部に入ったが、一般の授業は「出席証明」のために顔を出す程度で、もっぱら司法試験の受験に向けて猛勉強を続けた。同期が就活を始めても見向きもせず、卒業単位をわざと落として留年し、「司法試験浪人」を選択した。しかし、三浪、四浪と重ねても合格を果たせず、体調を崩し、静養を余儀なくされた。A君は教員免許を取得して、高校の先生になった。それでも弁護士の夢を諦めきれず、教壇に立ちながら司法試験の勉強を続けていた。
私は、親しさゆえにA君に率直に苦言を呈した。
「夢を追い続けることは素晴らしい。しかし、六法全書の世界だけに閉じこもらず、外に目を開いたらどうか。先生と司法試験の二足わらじでは、君の授業を受けている生徒はどう思うかな」
結局、A君は五回挑戦しても合格せず、限界を感じたのか教師に専念したが、五十代で若死にした。
一連の司法改革
我国の法曹界は独特の世界で、一般の社会通念や市民感覚から大きく離れた判決が出ることも珍しくなかった。ガリ勉を続けた結果の“世間知らず”や、六法の世界でレトリックだけを弄する弁護士もいて、「司法試験は法匪(法律を詭弁的に解釈して自己利益に持ち込もうとする者)を生み出していないか」と批判を受けることもあった。
そんな声を受け、司法制度改革審議会での大掛かりな見直し議論が続き、二〇〇一年に司法制度改革推進法が成立した。そして〇四年からは「法科大学院」制度が、〇六年からは新司法試験制度が、そして〇九年からは一般国民が刑事裁判に参加する裁判員制度がスタートした。それぞれ「国民に身近な司法」を目指すもので、法科大学院はその入口として導入された。ただ、当初こそ注目を集めたが、大学入学から法曹資格取得まで八年近くかかり、その長さや授業料等の経済的負担が敬遠され、一方で受験生の「質の低下」が問題視された。
そして二〇年の司法試験合格者がついに「定員割れ」(正確には「目標割れ」)になってしまった。法務省は一月に二〇年の司法試験合格者を千四百五十人と発表した。法曹関係者はこの数字に強い衝撃を受けている。「千五百人以上」という合格者数の「政府目標」を下回ったのだ。いわば“定員割れ”が起きたのだ。前例のないことだ。
目標を半分に下げても到達せず、ついに「定員割れ」
二〇年の司法試験は新型コロナウイルスの感染拡大で、当初予定されていた五月の試験日を八月に延期して実施された。受験者数は三千七百三人で、前年より七百六十三人少なかった。しかし、これを「コロナの影響」と見ると本質を見失う。実は受験者数は近年五年連続して減少しているのだ。それに伴って合格者数も五年連続で減少し続け、ついに「目標割れ」に至ったのだ。かつて合格者目標は倍の三千人だった。その目標を一五年に千五百人に下方修正したにもかかわらず、それをも下回ったのだ。政府は一九年から大学の法学部と法科大学院を計五年で修了できる「法曹コース」を新設したが、このコースを選択した学生が司法試験の受験資格を得るのは二年先の話。法務省は「その頃には受験者も合格者も増加するのではないか」と期待を繋いではいるが、悲観的な見方が多い。
時代の物差しが急変
時代の変化は極めて速い。まして「コロナ」により、働き方等、社会の仕組みが根底から変わろうとしている。若者の価値観も大きく変化、かつては就職人気ランキングは銀行や商社が上位を占めたが、近年は外資系やIT企業への就職が人気を集めている。司法試験と同じ国家資格である国家公務員上級試験を受けてのキャリア官僚志望者も減っている。さらに若手官僚の早期退職が相次いでいる。
社会が様変わりし、従来の仕組みや物差しとのミスマッチが広がっている。世の中の変化は静かに、急速に、しかも構造的に進んでいる。コトは深刻だ。
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