定点観測者の「G7広島サミット」検証
(注)以下の原稿は第77話の「G7広島サミットとゼレンスキーと私」と書き出し部分で多少ダブル部分もあるが、外務省発行の外交専門誌「外交」(VOL79)に寄稿したオリジナル原稿だ。「外交」では紙数の関係上、カットされた部分があるが、ここでは全文を掲載する。
広島テレビ顧問、広島大学特別招聘教授
三山 秀昭
基軸通貨ドルと金の交換停止というニクソンショック(1971年)、第4次中東戦争(1973年)によるオイルショックで、あの頃、世界経済はカオス(混沌)の中にあった。一方、ウオーターゲート事件でニクソン米大統領が辞任(1974年)、国際政治におけるアメリカの力は地に堕ちていた。そんな状況下でフランスのジスカールデスタン大統領が提唱して1975年にスタートしたのが主要国首脳会議(当初は6か国、翌年から7か国)だ。そのG7サミットが広島開催で49回目、広島サミットは歴史に残る特筆すべきサミットになった。隣国から侵略され、戦禍にある国の元首が、G7に対面(リアル)で参加するなど前例があろうはずがない。私は読売新聞の記者時代、日本国内での開催やアメリカ、イギリス、フランスでのサミット取材の経験を持つが、こんなサプライズに出くわしたことは一度もない。
外交専門誌「外交」から広島サミットの特別企画への執筆依頼は、私のキャリアに加え、この10年余、広島に住み、広島のメディアに関わる一人として「ヒロシマ」を定点観測してきたからの人選らしい。また、2016年5月のオバマ米大統領の広島訪問実現に多少関与したことも関係があるようだ。そこで他の執筆者の視点と重ならないよう、極力、開催地・広島にフォーカスを絞り検証したい。
ゼレンスキーとフランスのリンケージ
本論に入る前にウクライナ・ゼレンスキー大統領の「電撃」広島訪問に関し、私周辺でのファクトを記す。私もゼレンスキー関連の情報に振り回された一人なのだ。私事だが私は広島日仏協会会長の役を引き受けている。このためフランス政府関係者とは交流がある。5月初旬にこんな連絡を受けた。「大統領に同行予定だったマクロン夫人のブリジットさんが訪日できなくなった」。宮島・厳島神社のある広島県廿日市市とフランスのモンサンミッシェルはともに「海の宗教施設」として姉妹都市関係にあり、日仏協会会長の私と松本太郎市長でがサミット期間中にマクロン夫人に面会することになっていた。このため、夫人が来日しないことは肩透かしを受けた形になった。また、当初「マクロン大統領は直接、広島空港に入る」と聞いていたのに「途中どこかに寄るかもしれない」と変わった。さらに他のサミット参加首脳は18日夕までに広島入りするが「マクロン大統領だけはサミット初日の19日朝になる」との情報も入ってきた。
岸田文雄首相が3月の連休にウクライナを訪問した際、ゼレンスキー大統領は「広島サミットへのオンライン参加」で合意していた。しかし、4月末にウクライナ政府から「広島へ行きたい」との「強い要望」が首相官邸に伝えられた。イギリスのスナク首相が「広島へ行くべきだ」と背中を押したとされる。官邸と外務省、警察庁のごくごく限られたメンバーで「その可能性を探っていた」という。
サミット開幕の週が始まる15日朝、ロイター電が「Exclusive」(独自電)として記事を配信した。ワシントンとベルリン発の記事で、見出しにはないが長文の原稿末尾に次の一文があった。「彼(ゼレンスキー大統領)は広島サミットでG7の首脳に『either virtually or in-person』会うだろう」。「virtually」はオンライン参加のことで予定通りだ。「in person」(直に会う)が注目された。日本外務省は広島県庁にこれを「連絡」した。ただ「本日、外電がこう報じた」というコメント無しの「一応のお知らせ」という程度だった。
しかし、前記フランスからの情報もあった私は「?」と思い始めた。また、ゼレンスキー大統領はサミットの前の週に英、独、仏、伊の首脳と相次いで会談していた。もし、当初予定通りのオンライン参加なら、サミット議長の岸田首相がゼレンスキー大統領に電話して、欧州首脳と同様の直近情報を掴もうとするはずだ。しかし、その動きはない。「おかしいな」と私の中で勝手に「フランス」と「ゼレンスキー」が繋がり始めていた。「マクロンがゼレンスキーと一緒に広島入りするので夫人が来ないのかな」と想像が広がったが、それ以上は確認する術がなかった。それがサミット開幕前夜の18日夜に「ゼレンスキーが広島に来る」という情報が流れ、メディアは大騒ぎになった、マクロン大統領は19日朝、広島空港に到着したがゼレンスキーは一緒ではなかった。彼はサウジアラビアのアラブ連盟会議に参加していたが、しばらくして「フランスの政府専用機で広島に向かっている」という確かな航空情報まで入って来た。20日午後、ゼレンスキーはフランスの政府専用機で広島空港に着き、タラップをカーキ色の上着姿で早足に降り立った。
一方、サミットのセッション日程を変更し、最終日にウクライナ関連を移した。ゼレンスキー大統領はG7首脳との個別会談や招待国を交えた拡大会議、インドやインドネシアの首脳とも会談した。彼は原爆資料館で被爆者・小倉桂子さんの被爆体験を聞き「深く感銘した。世界中のどの国もこのような苦痛や破壊を経験することがあってはならない。現代の世界で核による脅しの居場所はない」と芳名録にウクライナ語の言葉を残し、戦地に戻って行った。ゼレンスキーの広島「電撃」訪問に日本、ウクライナ、フランス政府が極秘に関わっていたことになる。
「ヒロシマ」のメッセージ性と「ウクライナ」のニュース性
広島サミットはゼレンスキー大統領の登場により世界のメディアに注目されたことは否定できない。ただ、実態は少し違う。私の過去のサミット取材経験から見ても、これほど事前に注目されたサミットはない。それは私が広島に住み、盛り上がりを肌で感じたからではない。もちろん「G7広島サミット県民会議」(会長=湯崎英彦広島県知事)を始めとする地元の“熱狂的“な盛り上げ策は異常だった。しかし、東京の全国紙、キー局や特に海外メディアの注目度も従来になく高かった。ドイツのメディアは広島テレビが展開していた折鶴キャンペーンまで取材に来た。それは人類初の核兵器の惨禍を浴びた「ヒロシマ」での「被爆地サミット」だったからだ。それにロシアのプーチン大統領が核の恫喝を繰り返し、「これはハッタリではない」と脅す状況でのサミットであることが重なった。「ヒロシマ」のメッセージ性と「ウクライナ」のニュース性が重なり合って注目度を高めていた。ゼレンスキー大統領の電撃出席でそれが沸点まで達した、と言える。
「広島開催」の意味
今回は広島のほか、名古屋と福岡がサミット招致に名乗りを上げた。外務省と警察庁は様々な角度から“採点”した。結果は非公表だが「福岡と広島」が横一線だった。「岸田首相は選挙区の広島を開催地に選んだ」と言われる。「我田引水論」だ。何でも政局絡みで見ようとする「永田町解説」である。
しかし、首相が広島開催を内々に決めたのは「プーチンのロシア」がウクライナに武力侵攻した2022年2月24日から数日経過した月末だった。開催地が近年の各国サミットのようにリゾートでの「リトリート(隠れ家)方式」なら即決定だった。問題は「広島=被爆地」である以上、参加国の事前了解が必要だ。主会場を海辺で警備がしやすい「グランドプリンスホテル広島」に決めても、平和公園での慰霊や平和記念資料館(原爆資料館)の視察が組み込まれないと「広島開催」でなくなる。平和公園はの中心部、“街中“サミットになる。
首相の決断を受けて米ワイトハウスへの水面下の「説明」が始まった。核保有国で、「唯一の原爆投下国」のアメリカの了承は必要だった。ただ、2016年5月のオバマ大統領の広島訪問の事例があり3月末には了解は得られた。問題はフランスだった。ドゴール大統領時代以来、フランスは外交・安全保障政策では米英と一線を画している。ブッシュ(子)米政権がイラク戦争に踏み切る際も「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという証拠がない」と最後まで賛同しなかった。そこで外務省は特にフランスには神経を配った。「広島で開催する意味を説き、理解を得るのに丁寧に説得を続けた。フランスは核兵器に関しては他の核保有国とは違うスタンスだからだ」(寺田稔・核軍縮核不拡散担当総理補佐官=当時)。こうして「広島開催」はバイデン米大統領の日本訪問時(2022年5月末)に合わせて公式発表にこぎ着けたのが真相だ。「首相は地元を開催地に選んだ」というのは余りに皮相な見方で、「広島サミット」の本質を見失う矮小な視点だ。
「オバマだけ」からの広がり
核保有国首脳が被爆地・広島を訪れた例は、2016年のオバマ米大統領だけだ。ニクソンもカーターも訪問したが、いずれも大統領選に敗れての“浪人中の身”の時だ。もう一つの核超大国のロシアからは1992年にゴルバチョフ氏が訪れているが、それは1991年末にソ連の解体で大統領を退いた翌年、読売新聞の招請で訪日した時だ。広島テレビ主催の市民との対話集会で、彼は「広島が沈黙することなく『ノーモア・ヒロシマ』と警鐘を鳴らし続けてきたことに敬意を払う。①政治と道義を結び付けよう②誰もが国際法を守ろう③正義・・の三点を指摘したい」と語りかけた。今のプーチンに突きつけたい言葉だ。しかし、「現職」でない元首脳の言葉は重みに欠ける。私が「現職」にこだわるのは核保有国の現職首脳は核の発射ボタンを押す権限を持つ一方で、軍縮交渉を進める決断ができるポジションにあるからだ。
広島サミットの結果、「オバマだけ」から米仏英の核保有国三首脳が「被爆の実相」を知った。それにアメリカと「核シェアリング」の関係にある独、伊、さらにインドも加わった。戦後、イギリスから独立したインドの初代首相はジャワハラル・ネルー。彼は1957年10月、娘のインディラ・ガンジー(建国の父のマハトマ・ガンジーとは血縁ない)を伴って広島を訪問した。「非同盟中立」の盟主であるネルーは米ソの核武装、核実験に強く反対しており、約3万人の広島市民を前に「原水爆禁止を良心的に対応できなければ人類は破滅の道に導かれる」と世界に訴えた。しかし、その17年後、娘のインディラ・ガンジー政権下で1974年に核実験に成功、米ソ英仏中に次ぐ6番目の核保有国に名を連ねた。以来、インド首脳の広島、長崎への訪問は途絶えたままだった。今回、岸田首相はサミットにG20議長国のインド・モディ首相を招いた。ネルー訪問から60有余年を経て核不拡散条約(NPT)に参加していないインド首脳が原爆資料館で被爆の実相と向き合った意義は重い。
日韓首脳の被爆者共同慰霊の意義
韓国の尹錫悦大統領が広島を訪ね、原爆犠牲者を慰霊したことも意義深い。第二次大戦の後半では多くの朝鮮半島出身者が徴用され、「軍都」である広島や長崎で働いていた。そこへ原爆が投下され、広島では韓国人「2万余名」が死亡したとされるが「推計」で、実態は分かっていない。「犠牲者は誰からの供養を受けることなく、その魂は永くさまよい続けた」と慰霊碑に刻まれている。それは韓国人慰霊碑の建立まで被爆から25年の歳月を要し、当初は平和公園と川を挟んだ対岸にあったことを意味する。平和公園内に移されたのはさらに30年経た1999年だ。「なぜ、韓国人の慰霊碑を広島市が管理する平和公園内に移すのか」という反対の声があったのだ。被爆に「差別」が重なる苦難の経緯があるのだ。
さらに韓国や中国には「広島、長崎は原爆の被害面だけを強調するが、それに先立って大戦中に朝鮮半島や中国に日本がいかに迷惑をかけたかに目をそらそうとしている」という感情がある。韓国や中国の首脳は何人も訪日しているが、今まで一人も広島、長崎に慰霊に訪れていなかったのはこんな背景がある。
今回、尹大統領がサミットに招かれて広島を訪問、招いた岸田首相とともに、広島市の慰霊碑だけでなく、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも慰霊を行った。日本の首相が韓国人慰霊碑に慰霊したことは小渕恵三首相が1999年に慰霊碑の平和公園への移設を受けて訪れた一例があるのみ。日韓両首脳の共同慰霊はもちろん初めてのことだ。今回の共同慰霊を戦中、戦後の「歴史」やわだかまりを越えて、新たな日韓関係を象徴する「歴史的エポック」と高く評価したい。サミットがもたらした「副産物」というにはあまりにも大きい成果だ。
「広島ビジョン」の読み解き方
G7では毎回、様々な文書が採択される。今回はサミットを総括する「G7広島首脳コミュニケ」や、今回初めて独立文書にまとめられた「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」、「ウクライナに関するG7首脳声明」など計10本の文書が採択された。このうち注目されているのが「広島ビジョン」だ。これに対し、被爆者団体から、「不満だ」「期待外れだ」などの声が出ている。「核廃絶という言葉がない」との批判もある。
しかし、まず、言葉の定義と論理を整理しよう。「廃絶」は「なくすること」「なくなること」だろう。「核軍縮」は核弾頭数や運搬手段のミサイルを「減らすこと」、「核不拡散」は文字通り」「核保有国や配備国が増えないこと」、「核不使用」とは「使わないこと」であり、「威嚇」とは「使うぞと脅すこと」だろう。
ロシアのプーチン大統領がウクライナに核兵器による恫喝を繰り返し、「これはハッタリではない」と“ダメ押し”しているのは、まさしく「核使用」で「威嚇」していることに他ならない。隣国ベラルーシに配備しようとしていることはまさに「拡散」だ。
言葉と論理を整理したうえで、「ビジョン」を丹念に読み解いてみた。①核軍縮に特に焦点を当てた初の首脳文書を発する②「全てのものにとって安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現に向けてのコミットメントを再確認する③77年間に及ぶ核兵器の不使用の記録の重要性を強調する④ロシアの無責任な核のレトリックやベラルーシへの配備表明は受け入れられない⑤ロシアの賛同したG20首脳によるバリ(インドネシア)声明を想起し、核兵器の威嚇や使用は許されないとの立場を表明する⑥2022年1月3日に発出された核戦争回避に関する(ロシアも含む)5核兵器国首脳の共同声明を想起し、ロシアに声明の言葉と行動で改めてコミットするよう求める⑦我々の安全保障政策は核兵器が存在する限りにおいて、防衛目的のために役割をはたし、侵略を抑止し、戦争、威圧を防止すべきとの理解に基づく。
「ビジョン」は冷戦終結後の「核軍縮」の継続と「逆行させてはならない」と言及している。また、核兵器不拡散条約(NPT)は「礎石」だとして「不拡散」も強調している。さらに現実的、実践的、責任あるアプローチを通じて「核兵器のない世界」という究極の目標に向けてのコミットメントを再確認している。 つまり、「ビジョン」は「核兵器のない」(廃絶)も「軍縮」も「不拡散」も「不使用」も「威嚇禁止」にも言及しているのだ。
一部識者は「核なき世界」への具体的「道筋」が示されていないと批判する。しかし、米ロ間で唯一の核兵器に関する条約となった「新戦略兵器削減条約」(新START)の履行停止表明したロシアに復帰と履行を求めている。中国には核兵器や核物質の保有の情報公開など透明性を求めている。北朝鮮にもイランにも国連安保理決議の履行を求めている。
「道筋」に触れているのは間違いない。ロードマップのカレンダー(日程)には踏み込んでいないことは確かだが、ロシアなど相手がある以上、G7だけで日程を組んでも意味がない。
「ビジョン」は結びで「世界の指導者や若者、人々が広島、長崎を訪問することを促し、その具体論として若者、女性、市民社会の関与、参加を求めている。これらを踏まえると「核廃絶の文言がない」という批判は、ある意味で粗雑な論理だ。実は被爆者や被爆二世でも被爆者団体に加わらない人も多い。同じ名称や類似の名称の被爆者団体が存在することは地元では知られているが、全国ではほとんど知られていない。それはともかく、今回のサミットの成果を率直に評価する声が被爆者や被爆二世、広島市民の中にかなり多いことを指摘しておきたい。むしろ、今回のサミットに対する評価の落差から、逆に被爆者がこれら団体から離れることを憂慮する。岸田首相が慰霊碑を背景にした総括の記者会見で「夢想と理想は違う。理想は努力すれば手が届く」と言い切った。スローガンを掲げるだけでは「核」の問題は前進しないこと熟知するだけに、「一歩、一歩歩みを進めていこう」と呼びかけ、現職政治家の一端を垣間見せた。
実現した3点セット
サミットに向けて地元・広島は「被爆の実相に触れて」として「3点セット」を熱望してきた。それは①首脳たちによる慰霊碑への献花②資料館の視察③被爆者の証言を聴くことだった。③は複数の候補者の中から小倉桂子さん(85)が選ばれた。小倉さんは独学で学んだ英語で、切々と自らの被爆体験を語り、2歳で被爆、10年後に亡くなった佐々木禎子さんの話に重ね合わせ、首脳たちに「人間として感じ、自分のこととして追体験してほしい」と求めた。首脳たちは小倉さんに握手を求め、労いの言葉もかけた。「予定の倍以上の時間になった」と小倉さん。資料館から出てきた首脳が一様に厳粛な表情で、献花の際もフランス大統領やイタリアの首相が頬に手を当てていたのが印象的だった。「被爆の実相に触れて」という地元広島の熱望が叶ったことは間違いない。資料館の視察はオバマ大統領の時の10分、今回は40分だったのだが、被爆者団体の長は「まだ短い」と不満を表明する。ただ、被爆者団体の不満の気持ちの一端は理解できる。それは資料館の内部での状況が非公表のためで、アメリカの要望だが忖度し過ぎだ。現にイギリス、フランス、インドの首脳やゼレンスキー大統領らは何を見て、何を感じたか情報発信している。この点は日本政府も資料館を管理する広島市も再考の余地があるのではないか。
期待される第二のオバマ効果
「被爆地サミット」は前段で記したように「ウクライナ」と重なり合って内外メディアから注目の的となった。サミット前から海外メディアが広島入りし、サミット期間中も本筋の報道とは別に現代のリアルな「ひろしま」を世界に伝えた。 瀬戸内の多島美や名産の蠣、お好み焼き、折鶴も世界に発信された。これがインバウンドとして海外観光客を招き寄せることは確実だろう。それはオバマの広島訪問後、欧米の観光客が急増したことで証明済みだ。
今回はG7首脳たちが資料館で記した「芳名録」の言葉や被爆樹木のサクラ(ソメイヨシノ)の記念植樹も話題を集めそうだ。また、首脳や配偶者たちはもう一つの世界遺産の宮島を訪れ、厳島神社の朱色の大鳥居をバックに記念撮影が行われた。これらが相乗作用としてインバウンドの波が広島に押し寄せれば、市民レベルでも「被爆の実相」が広く知られていく。こうして「ヒロシマ」と廃墟から完全に蘇った近代都市「ひろしま」が世界に知られれば、今、荒廃の極みにあるウクライナの市民や、今は他国へ逃れている避難民に、激励と連帯のメッセージになるのではないか。G7広島サミットの成果は多面的なのかもしれない。
略歴
三山 秀昭(みやま ひであき)
1946年富山県生まれ。早稲田大卒業。読売新聞社入社、政治部、ワシントン特派員。政治部長、秘書役などを経て2011年広島テレビ社長、会長、最高顧問。政府税制調会委員、広島日仏協会会長。
2016年のオバマ米大統領の広島訪問では岸田文雄外相(当時)、湯崎英彦県知事、松井一實広島市長らと連携、被爆者、市民、広島の要路から集めた「オバマへの手紙」1472通を携え、14、15年にホワイトハウスを訪問、大統領の広島訪問実現に尽力。今回のG7広島サミットでも政府にいくつかの提案をし、実施された。
著書に「オバマへの手紙」(文春新書、1095)、「ブランチにニュースなコラムを」(南々同)、「世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した言葉」(同)など。
月刊誌「リベラルタイム」に「ブランチにコラムを」を連載、ブログ「徒然エッセイ」(http://pict-dd.cocolog-nifty.com/tsurezure/)も。