第104話 日本被団協へのノーベル平和賞 「祝賀」を越えて
2024年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。ダイナマイトを発明したスウェーデン人・ノーベルが創設した各賞の授賞式は、その命日12月10日にスウェーデン・ストックホルムで行われるが、平和賞だけはその遺志によりノルウェー・オスロで行われる。
私は2017年に「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が国連で核兵器禁止条約の採択(同年7月)への貢献を理由に、平和賞を受けた際、「なぜ、長年に渡り、ともに核兵器禁止条約のための署名運動を続けてきた被爆者団体も対象に含まれないのか」と疑問を抱いた。それだけに今回は素直に喜びたい。
広島の定点観測者として、少し緻密にレポートしたい。まず、「日本被団協」の正式名称「日本原水爆被害者団体協議会」には、「被爆者」ではなく「被害者」とある。広島、長崎に投下されたのは「原爆」だが、「原水爆」であることも留意したい。
人類初の核の惨禍を浴びた広島、長崎では被爆後「空白の10年」といわれる時期がある。大惨事の中で救援と生きることに追われ、惨状を訴えることはあったが、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制で「反核」運動には広がらなかった。一方、アメリカが1954年に太平洋のビキニ環礁で初の水爆実験を敢行した。静岡県の漁船「第五福竜丸」や高知県の漁船が「死の灰」を浴びた。それを『読売新聞』がスクープ、放射能を浴びたマグロは「原爆マグロ」として社会問題になり、東京・杉並の主婦等が核実験禁止を求める署名運動を始めた。原水禁運動は被爆地の「反核」ではなく「暮らし」の中から芽生えたのだ。それが55年の広島、56年の長崎で原水爆禁止世界大会に繋がり、日本被団協が結成された。
被爆者には直接被爆した人、母親のお腹にいた胎内被爆者、肉親の安否を確かめるのに被爆地に入った入市被爆者がいる。また、「被爆二世」も被団協に加盟している。被団協が「被爆者」ではなく「被害者」と名乗り、「原水爆」と「水爆」も対象にしているのはこんな背景があることを確認したい。
ノーベル委員会が発表した「授賞理由」を熟読した。「『ヒバクシャ』と知られる広島、長崎の原爆の生存者達は、核兵器が壊滅的結果をもたらすとの認識を高めるのにたゆまぬ努力を続けてきた。それが核兵器の使用は道徳的に容認できないとの国際的規範を形成、『核のタブー』として知られる。ヒバクシャの証言は唯一無二。それが80年近く核兵器が使われてこなかった『核のタブー』の確立に貢献した」。その上で「いま、核兵器使用のタブーが圧力の下にある」と憂慮する。結びはこうだ。「来年(2025年)は被爆80年を迎える。いつの日にか歴史の証人・被爆者はいなくなる。しかし、日本の新しい世代が被爆者の経験とメッセージを継承している」。授賞理由は明らかに被爆者の活動を讃え、現下の「核」を巡る状況を憂い、次世代の未来に望みを託している。
日本被団協は授賞式に広島、長崎の被爆者17人の他、被爆2世や3世、韓国やブラジルの被爆者団体も含め計31人を参加させた。日本被団協に加わっていない団体も同行ツアーを募集、約50人がオスロに出かけ、平和賞を現地で祝った。さらに広島、長崎の「高校生平和大使」も派遣された。
一方、国際情勢に目を移せばロシアのプーチン大統領がウクライナへの核兵器使用の恫喝を繰り返す。イスラエル首脳はイランの核施設への攻撃もちらつかせた。中国の核戦力の増強、北朝鮮の核・ミサイルの急速な開発、そしてアメリカでは「力と取引」を声高に唱えるトランプ時代の再来である。「究極の目標」としての「核廃絶」は冷徹な国際政治という現実の中で遠景に追いやられている。
だからこそノーベル平和賞を「祝賀」に終わらせてはならない。2016年のオバマ米大統領の歴史的初の被爆地・ヒロシマ訪問、そして2023年のG7広島サミットの開催は、「オバマ効果」「サミット効果」として世界からインバウンドを広島に呼びこみ、今、平和公園は海外からの観光客が殺到している。彼らがそれぞれの国に帰って「ヒロシマ」を語っている。今回、それに平和賞が加わり、グラスルーツからの「核使用への抑止力」となっている。これを次世代へのエンジンにならなければならない。被爆者の高齢化により全国では被爆者団体の活動停止が相次ぐ。それでいて広島には「広島県原爆被害者団体協議会」という全く同じ名称の団体が2つ存在する。当初は1つの団体だったが、いかなる国の核実験にも反対する立場の社会党系と、アメリカの核実験には反対だが旧ソ連の核実験は容認する共産党系とに分裂した。いま、広島には被爆関連団体が7つ、長崎には4団体ある。統一の気配はない。平和賞を機に被爆者団体のあり方も含め模索する道はないのか。平和賞への「祝賀」の先に未来志向の「被爆80年」へと向かいたい。
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