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2025年9月

2025年9月 2日 (火)

第123話 両陛下のモンゴル訪問で親日感が加速

 天皇、皇后両陛下によるモンゴル御訪問(7月6日から13日)の直後、7月下旬にモンゴルを訪れた。広島経済同友会の視察団の一員としての訪問、参加者の多くにとっても私にとっても初めてのモンゴルだった。モンゴルはもともと親日的な国だが、両陛下の訪問でそれが加速されていることを実感した。

 日本人にはモンゴルといえば「多くの大相撲の力士を輩出している国」というのが第一印象だろう。「歴史の授業で蒙古襲来(元寇)を教わったことがある」という程度だろうか。 そこでまず、モンゴルの基本情報を整理したい。 ①面積は日本の約4倍、ロシアと中国に囲まれた内陸国 ②人口約354万人、人口密度は世界最少。半数が首都ウランバートルに一極集中し、多くが遊牧民 ③ウランバードルは近代都市だが、国土の8割が草原地帯で羊、ヤギ、牛、馬等が自然放牧され、その数6500万頭 ④遊牧民は「ゲル」というテント風の住居に住み、1年に数回移動する。「2,3人で2時間程度で組み立てられる」という ⑤金、銀、銅、石炭、レアアース、ウラン等、鉱物資源が豊富で輸出額の約87%を占める。輸出先の9割が中国、輸入は中国が約40%、ロシアが約24%。日本は約10%で、中古車を含めた自動車が中心、大半がトヨタ車だった ⑥文字はロシア語に似たキリル文字、若者は英語、中国語、日本語への関心が高い ⑦政治は冷戦崩壊後に民主化され、大統領と1院制国会が並立している。

 両陛下の外国訪問は即位後、コロナ渦で行われず、インドネシア(2033年),イギリス(2024年)に次ぐ三度目。今回、訪問先がモンゴルになったのは「天皇陛下の強い要望による」(外務省の大使経験者)。戦後80年の節目に、硫黄島、広島、沖縄、9月に予定される長崎への訪問等、一連の「慰霊」の意味合いを持つ。

 終戦時、旧満州や朝鮮半島では日本兵や在留邦人がソ連軍に連行された。57万5千人が「シベリア抑留」とし極寒の地で森林伐採や鉄道、道路建設等の労働を強いられ、5万5千人が死亡した。うち1万4千人がモンゴルに移送され、2千人が亡くなっている。

 現在もモンゴルの政府庁舎や国立オペラ・バレエ劇場として使われている建物は抑留者が建設に従事した経緯があり、両陛下の歓迎式典は政府庁舎前の広場で行われた。また、両陛下は郊外の日本人慰霊碑も訪問、「故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々のご苦労に思いを致したい」と追悼された。実は海外抑留地での慰霊は歴代天皇で初めて。ロシアでの慰霊が事実上不可能な中で、モンゴルでの慰霊の意義は重い。

 両陛下がチンギス・ハーン空港に降り立たれた際、歓迎の印として差し出された「アーロール」という乳製品のお菓子を、その場で口にされたことがモンゴル国民に親しみを感じさせたようだ。両陛下はモンゴル最大の祭典「ナーダム」の開会式に出席、伝統楽器「馬頭琴」の演奏も楽しまれた。日本発祥の高等専門学校「新モンゴル学園」では学生達と交流された。

「両陛下の訪問は日本との友好促進の歴史的金字塔となった」が現地外交筋の大方の評価。特に天皇陛下の「モンゴルの広大な土地に蒔かれた(友好の)タネを、若者達がさらに高みに育てていくことを願う」というお言葉は、モンゴル人の親日感のアクセルになっているようだ。近年、増えている日本への留学希望者がさらに増えることは確実だという。

 モンゴル政府関係者は「両陛下の訪問準備は昨年春から始まった」と明かしてくれた。実は昨年8月に岸田文雄首相が訪問する予定だった。しかし、8月8日に「南海トラフ地震臨時情報」が初めて発令され、危機管理上、直前で中止になった経緯がある。両陛下の訪問は、モンゴル側にとって「待ちに待った」出来事だったのだ。

 モンゴルは2015年にスイスに似た「永世中立」を目指したことがある。中露に囲まれた地政学上の選択肢だったのだが、頓挫した。以降、韓国、欧米、日本との交流拡大を目指しているが、韓国が観光、貿易で日本より先行している。ウランバートルの劇場で民族舞踊を観たが、舞台袖の字幕はモンゴル語、英語と韓国語だけだった。ウランバートルは高層ビルが林立、建設ラッシュだった。しかし、日本製のクレーンやブルトーザーなど建設機材を見付けることはなかった。「遊牧民の国」から脱却しつつあるモンゴルで、両陛下の訪問を今後の日本との関係強化にどう繋げるかが課題だ。

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